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ドラマを作る力も劣化してるんかね。 

  • [2007/08/30 19:17]

先週あたりから本やAVの整理をはじめたんだけど、本てぇーのはさぁ、いざ処分しようとなると読み返してしまって進まないんだよねぇ。んで、捨てようと思ってた本が残ったりして、だんだん捨てる基準がわからなくなってくる。
コマッタ、コマッタ。

昨日は鴻上尚史の『トランス』ってシナリオを読み返しちまった。

トランス (新版)
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鴻上 尚史
白水社
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この本は、ホント、よくできているねぇ。テンポもいいし、鴻上の持ち味がよく出ているんじゃないかなぁ。
登場人物は3人。たった3人のなのに話に奥行きがある。
話の内容は登場人物の妄想が入り乱れる劇なんだけど、3人だからこそぶっ飛んでも話を見失わせることもなく、むしろストーリーの展開を楽しめる作りになっている。
でも、鴻上って映画はパっとしないんだよね。

映画といえば、テレビで「蝉しぐれ」をやってたんだけど、あれもひどかったなぁ。
同じ藤沢作品を映画化した山田洋次監督の一連のシリーズとは雲泥の差だね。
確かに映像は綺麗に撮れているんだけど、結局、映像を重視しすぎて流れを悪くしている。無意味なコマ割もあるし、こういうのってAVだけじゃないんだね。

この間、UPした「告白 インケイジュ4」も映像的には文句ないんだけど、パート間のつながりがどうもよくない。
その点、同じ妄想ドラマでも、二村監督なんかはまだなにかスジを一本通そうとしているように見えるんだけど、K*WEST監督はどうもストーリーにロジックがたりないんだよねぇ。

この人、多分、むちゃくちゃ映画青年だったんだろうなぁ。
でも文学少年って感じではなかったんじゃないかな。古典落語とかも聞いてなそう。
映像のクオリティーに比して言葉や音声の扱いが貧弱なんだよね。映像無しで音声だけ抜き出して聞いていると、なにやってかわかんない。

さて、そろそろ『プラトニック・アニマル』での淫語の扱いについて書きたいんだけど、なかなか落ち着いて読んでいる暇がないんだよね。
とりあえず書き出しちまうかなぁ。

永瀬あき 癒らし。「 パンツ見てたでしょ? わかるんだからねっ」 

  • [2007/08/24 22:42]

永瀬あき 癒らし。 VOL.36 遠距離恋愛レビュー

癒らし。VOL.36
永瀬あきちゃんというコは、アキバのメイド喫茶で働いていた知る人ぞ知るコスプレイヤーだったらしい。

どうりで「癒らし。」での恋人のなりきり方が尋常じゃないはずだ。
アドリブなんか絶妙ですよ。何度もニヤつきながら、のけぞっちゃった。
恐るべし、メイド喫茶。
「お帰りなさい! ご主人様!!」とか言いつづけてきただけのことはある。行ったことはないけど。
今回はデートシーンだけなら、最高傑作だと思う。

1.待ち合わせ→レンタカーを借りた彼。車に乗る
2.高速を運転中。パンチラ、胸チラで軽くからかう永瀬。
3.ドライブ途中、川を見つける永瀬。車を止め河原で軽く水遊び。
4.再び車を止め、淋しい感じの雰囲気ある場所(城址?)を怖がりながら散策
5.車道のワキでイチャイチャ。草むらに引き込み胸揉み・指マン→フェラ→青姦で後背立位尻射
6.湖 ボートをこぐ→湖の上でフェラ
7.みやげもの屋→湖畔で近況を語る
8.ロッジでお泊まり フェラ 正常位→後背位→寝バック→正常位→舌射
9.エンディング

何度も書いてきたけど、「癒らし。」のイヤらしさは、恋人の何気ない会話が実はとてもエッチであるということの再確認なんだね。カップルって普通に観察していてもイヤラシいもんでしょ。
「これから私たちエッチします」オーラが出まくっているせいか。それとも「今までさんざん、あんなことやこんなことをやりまくってます」オーラが出ているせいか。
ああ、いやらしい!

今回のデートシーンはまさにその辺りをかなり意識した作りになっていたと思う。
たとえば、2でのドライブシーン。
久々に彼にあったカノジョの永瀬あきは、彼が運転中なのにサービスと称して助手席でスカートの裾をたくし上げる。

パンチラ
ちょっと、サービスしようかな。
ウフッ、チラン。
チラッ、チラッ、やめなよぉ、前向かないとぉ。
サービスするけど、ちゃんと前向いて。
ちゃんと運転しないとダメだからね。

いるでしょ、こういう女の子。
要は、カレシに対して自分の体の魅力を確かめているみたいなことですよ。
そんでもってお次は

胸チラ
ほらぁ、じゃん。
チラっ、チラッ、チラッ。
ふふ、危ないよぉ、ちゃんと前向いて。

パンチラ攻撃から胸チラ攻撃ですよ。
も~、イヤラシい!
なんてイヤラシいんだ、このコは。

こうなるとカノジョの挑発に男の方も、だんだん上気しはじめるでしょ。
カレシだって負けていないんですよ。

3で川原に降りて、水とたわむれるシーン。
前をいくカノジョのお尻を見ているうちに思わず、尻に手が出ちゃうんですよ。こういうのって、すでにエッチをすませている仲だからできる、カレシだけの特権なんだよなぁ。
スゥっと触る手がいやらしい。

尻タッチ
ひゃぁ!
あははっ、びっくりしたぁー。
やめてよぉ
なにやってんのぉ~。
もー、ホント、人がいっぱいるからやめてよぉ。
もう恥ずかしいなぁ。
ビックリしたぁ。
お尻、触んないでぇ~。

さらに話が進み5になると、エッチ度はさらに加速していく。
寒いねぇ
はぁ、山だから寒いね。
ひっついちゃお。
へへへっ、あったかーい。

とかまたまた、イヤラシいことを言い出したカノジョに、カレシがもよおして胸元を覘くわけですよ。

えっちぃ
なに触ってんのぉ、えっちぃ。
んんん、ダメだよ、人きちゃうよぉ。
車さっきからいっぱい通ってんじゃん。

んで、辛抱たまらなくなったカレシが草むらに連れ込んでそのまま立ちバック。
最初はあらがう彼女も、途中からは楽しそうに立ちフェラとかしはじめる。

若い頃はこういうこと、見境なくやっちゃうんだなぁ。
ありがちだよねぇ。
青姦ってさぁ、かえって日差しの強い時の方がコーフンすんだよねぇ。
ああいやらしい、そんなことを思い出させるぐらいイヤラシい。

とまぁ、こんな感じで、続いていく。
デートというのはやっぱり「非日常」なんだよね。だから、普通に恋人たちを描けば、それだけで最高にいやらしい。
日常から非日常に徐々に入っていく感じがうまく作れれば、このシリーズはほぼ成功と言ってもいい。
ただ、これって微妙なバランスの上に成り立っているから、かなり細かい描写が必要になってくると思う。

だからといってはなんだけど、7でシリアスな話で終えたのがちょっともったいなかったなぁ。真面目な話はいいんだけど、真面目な話に耐えきれなくて、下ネタで終わるみたいな流れにした方が、カップルの会話としてよりリアルだったように思う。
日常の面をチラチラ出してもいいんだけど、すぐに非日常に戻すようにして場面転換しないと、一貫性が欠けて間が抜けてしまうような気がする。

実は、このあたりからこの作品は方向性があやしくなってくるんだよね。
エロが持続しなくなっちゃう。
8で長めのカラミをするんだけど、ここのシーンが今ひとつなんだなぁ。

思うに問題点は2つ。

1つは、ライティングが悪いこと。
ベッドの右側からライトを当てているんだけど、どうもそれがあんまりよくできてなくて、体に陰ができる。だからハメシロはほとんど暗くて見えない。
しかも、ガンマイクの影が思いっきり映るし、staffが動いているらしいのも、影でわかる。
撮り方もこんなライティングだと、アウダースというよりオーロラプロジェクトみたいな感じになってしまって、なんかハメ撮りっぽく見えてしまう。主観の意味がない気がするんだよなぁ。
まぁ、これを生々しく撮れているって評価する人もいるだろうけど、自分はこういうアウダースは見たくないねぇ。
やっぱりアウダースはアウダースであってほしいからね。他のメーカーでもできそうな撮り方は勘弁してほしい。

イキシーン
ただそれ以上に問題は、永瀬あきちゃんのカラミ。
カラミにはいるとずっと眼をつぶったままの状態になっちゃうんだよね。それは主観映像では絶対にやってはいけないこと。カメラ目線でのエッチが基本だからねぇ。

目をつぶるってことは相手を見ていないってことになる。
それはまた自分の世界に閉じこもったままになってしまうことになるんだなぁ。
彼女はフェラも目線を合わせようとしない。これではダメ。
主観女優で大事なことは、言葉と目線による会話なんだから。
まぁ、この辺りはキャリア不足なんだろう。
でも監督のディレクションとしてはどうだったんだろうね。
あまり工夫が見られないようだったけど。

以上のような問題点はあるけど、それでも永瀬あきちゃんとのデート感は堪能できると思う。
とにかく「恋人たちは、ただそれだけでいやらしいってこと」を十分、表現できてたから「癒らし。」としてはよくできていたと思うよ。

あえて言うなら、カラミよりもデートシーンの方がヌケるかもしれない。

淫語は、2人でボートに乗っていて

固く
あー、チンチン、固くなっちゃってるよ。
こんなとこでぇ、チンチン固くなちゃって、恥ずかしくないのぉ。
今日ずっと、エッチなこと考えてるみたいだもんね。
ずっとしてないからたまってたのかなぁ。
じゃあ、お口でしてあげるね!

とフェラするところ。
それとロッジでの最後のカラミ。
後背位で突かれながら、

「君のチンチン、いつもよりすごい固いねぇ。ああ、気持ちいい。あああ、あああ、あああ、ああだめ、あきのオマンコこわれちゃうー」

以上、チンチン3、おまんこ1の計4回。

怒った顔
とにかく永瀬あきちゃんはスゴいコだ。
←こんな顔ができるなんて、自分の売りをよく理解している。

サンプルはここに行って確認を。

あー、ホント、なんていやらしいんだ、「癒らし」は。

だって最近のビデ倫、アウダースよりも薄いんだもん。 

  • [2007/08/23 22:27]

なんか、今日、ビデ倫やhmpに家宅捜査が入ったらしいね。

ビデ倫を強制捜査、AVヘア解禁に「審査不十分」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070823-00000913-san-soci

なかむらさんのところとか大丈夫かなぁと思ったら、あけぼの映像はどこも入ってないんだねぇ、自主審査機関。
そういえばアウダースも入ってなかったなぁ。
あれって、審査済のシールを貼るのに金、ふんだくられるんだっけ?
業界の仕組みがよくわからないので、いつか教えてください。

そんで、とりあえず明日なんだけど、永瀬さんの癒らし。レビューをこのボヤキにアップする予定。
今、改めて見ている最中。
この作品、カラミはともかくデートシーンはかなりよくできている。とにかく細かいやりとりが満載でいいのよ。
カラミは今ひとつだったけど、それでも自分的には今までにない意欲作だと思ったね。
こりゃあ、大評判かなぁと思って、永瀬あきちゃんのスレを見ていたら、あまり騒がれていない。これ、見さえすれば、ファンは気に入ると思うんだけどねえ。

とにかくこの永瀬あきちゃんってコがタダもんじゃないのよ。
作品の趣旨をよく理解してんだなぁ、これが。だからアドリブなんかもよく効いている。
とにかくデートシーンだけなら、今までの癒らし。史上最高傑作の部類だね。
さらさんの癒らし。のデートシーンが気に入った人は気にいるんじゃないかなぁ。

それと永瀬スレで「アウダのスレはロリ好き少ないし」とか書かれていたんだけどさ。
自分は特別ロリ好きってわけではないけど、もともと長瀬愛ちゃんを追いかけてAVをたくさん見はじめた経緯もあるんで、基本、ロリもいけるのよ。
それに「癒らし。」はロリ好きにはたまらんシチュを作りやすい企画だと思うのね。
そもそもロリ系企画女優っていうのはこういうのがうまい人が多い。実際、今年の頭にリリースされていた仲咲千春やほしのみゆの癒らし。もよくできていたしね。

さて話は変わるけど、前にアウダースの作品をレビューしているのは自分のとこだけだと書いたことがある。少なくても昨年まではそうだった。
でも最近、アウダース作品をしっかり見た上で、よぉく書いてくれているAVレビューのblogがある。
この春あたりに発見したblogなんだけど、そのblogはおもにレズAVを紹介しているところで、しかも当の本人が真正のレズビアンだって言うんだから、そりゃ間違いないわな。
当人にはまるっきり了解をとってないけど、勝手に紹介しちゃうね。

レズビアンHanaのレズビデオ鑑賞日記
http://hanahana99.blog85.fc2.com/

この人、淫語もスキみたいなんだよね。以前、そんなことを書いていた。
自分は基本的にレズモノは門外漢だしさ、この春からここを覘いて勉強しているんだ。
彼女とは視点も微妙に被っていたりするし、もの凄い情熱をもってレズAVを語っているんで、なんかシンパシーを感じてしまったんだな。

その彼女のレズモノの最高傑作が、なんとアウダースの「DOKIレズ 12」なんだって。
ちょいとアウダースのMさん。
ここにもアツいアウダースファンがいますよ。なんか贈った方がいいんじゃないですかね。

ところでFLAG監督もhmpで撮ってたけど大丈夫かなぁ。
捕まったりしたら、笑っちゃうけどね。
(kmpの勘違いだった。orz...)

「竿に触りながらのセリフ」と「竿に向かってのセリフ」 

  • [2007/08/20 12:16]

姫野愛の「オナニー・パラノイア」だけど、このノーマルKIMって監督はノーマークだったね。ドグマで、はじめて自分の肌合いに近い感性をもつ監督さんって感じがした。

たとえば2番目のパートで、スーツ姿の姫野愛が登場するんだけど、人形相手に体を絡めて挑発していくときに、黒いタイトスカートの下から覘くパンチラシーンがあって、なぜか股間部にモザイクがかかっている。
「あれっ」と思ってよく見るとどうやらパンスト直履きノーパンらしい。下からちょっと煽る感じの撮り方なので、あまり定かではない。ただ胸の方も、大きく開けたブラウスから愛さんのキレイな乳首が見え隠れしていたもんだから、「ノーブラってことは下もノーパンなんだろうな」と連想させてくれていた。

それがノーパンだとはっきり映し出されるのは20分後のこと。
四つん這いのマンズリシーンで、パンスト越しのマンコがアップになり、「やっぱり、そうか。ノーパンだったんだぁ!」と納得させられる。

しかも、この流れはこれだれけじゃ終わらない。

さらに10分後。姫野さんがカメラにまたがり下から見上げる感じでマン見せするシーンでは

ねぇ…おねえさん……変態だからパンツはいてないの。
ねぇ…ストッキングが…こんなに薄いからぁ…こうやって引っ張るとぉ…ね……いやらしいこんな肉の割れ目…プニプニした肉の割れ目がうーんといやらしく…浮き立って見えるでしょう…ね…

と言わせながら、パンスト破りに移行する。

つまり、「チラ見→(20分後)→四つん這いお尻からのアップ→(10分後)→言葉での表現」ということをやっていた。
これを意識的にやっているんだとしたらすごいなぁ、と思った。

ただ作品全体の流れを見てみると、クビをひねらざるえないところがあるからこの監督が、ユーザーのそういう意識の流れを計算して構成したものなのかどうかまではわからない。
マニュアルでも言及したけど、最後の飲尿オナニーパートは、オナニー作品なのにオナニーがメインだとは思えなかった。あれでは姫野愛さんの反応はオシッコの照り返しでのオナ演技でしかない。オシッコ好きが、オシッコをメインにして抜くパートだと思う。
タイトルを「オナニーパラノイア」と銘打ったからには、それはどうなんだよーって思ってしまう。
エロきゃいいのか?
監督の好みでヌケれば、流れの完成度なんていらないのか?

まぁ、この辺りがドグマクオリティーなんだけどね。
どうしてこうドグマって、言葉に対する認識が甘いんだろう。
まぁ、ドグマだけじゃないんだけどさ。

あと、マニュアルには書かなかったんだけど、淫語の言わせ方で1つだけ気になっているのは、セリフのベクトルが曖昧になっていたこと。すごい細かい話だから、マニュアルには載せずにあえてここで書くけど、個人的にはちょっとそこらあたりもヌルく感じたんだよね。

「モノを触りながらしゃべる演技」と「モノに向かってしゃべる演技」は当然、その意味が異なるはずだよね。

「モノを触りながらしゃべる演技」というのは言葉の方向性が自分の感性に寄り添って言っていることが多い。相手と会話していてもどこか自分の内面に潜った言い方になる。触っているモノ自体は演技者の体に取り込まれ、その演技空間の中では従の関係になるはず。
従の状態のままモノを使って演技空間を拡げていく。

でも「モノに向かってしゃべる演技」となれば、言葉を投げかけた段階でその「モノ」は徐々に人化しはじめるわけで、副えの対象である「モノ」が独立し一気にメインに躍り出てくる場合もある。
擬人化された性器の実況淫語がイヤらしく聞こえるのは、「演技者」と「モノ(チンコ・マンコ・タマ・アナルなど)」とそれを見せている「ユーザー」の間に三角関係を築き、「目線」や「身振り」などのやりとりを通し、そこに意識の渦を巻かせていくからで、その渦の巻き方がうまいテンポでまわればエロが増幅するんだと思う。

さらにこの「モノを触りながらしゃべる演技」と「モノに向かってしゃべる演技」をうまく使い分けながら、モノが人化したり、再びモノに戻ったりして、意識の渦がより膨らんでいけば、エロは格段に増幅されることになるだろう。
だからこだわるならこの辺りのセリフの流れ、メリハリを意識した演出なり構成が必要だと思う。

今回、姫野さんは竿や玉門を使ってとてもうまい感じでセリフを言ってくれていた。
だけどセリフの渦の巻き方がもう1つだった。言葉のベクトルが整理されずに、あっちこっちいってぶつかってしまっている印象すら受けたんだ。
もちろん彼女の言い方のテンポ自体はよかったから十分イヤラシかったんだけど、もっと意識的に導線を引っ張ってくれていたら、もっともっと、もぉーと、良い作品になったと思う。

でも、久しぶりに応援したくなるような監督を見つけたね。
それがドグマって言うのがびっくりだよ。あそこは自分的には「二村ヒトシ」しか用がないメーカーだったからさ。
まぁ、どっちにしろ「ノーマルKIM」さんには注目しておくですよ。
でも、高いんだよなぁ、ドグマ。

ネコを使って言い訳をしてみる。 

  • [2007/08/14 12:10]

先週は飼っているネコのせいで往生した。

ことの発端は、毎年、夏にやるネコの混合ワクチン。
うちの母親が夕方、いつものように自転車のかごに乗せて近くの犬猫病院に連れていった。病院に着いてネコを下ろそうとしたところ、スルッと逃げ出した。ケージが少し開いていたらしい。

そこからまぁ、大騒ぎ。母も病院の先生も慌てて探し回ったが見つからずじまい。その病院からうちまで1キロぐらいの距離。途中には2車線の道がある。
落ち込む母に獣医の先生は「○○ちゃんの場合、帰ってくることもありえますから、決してあきらめないでください」と励ましていた。
というのも、実はうちのネコ、屋内飼育をぜすにしょっちゅう外を出歩いているネコだったのだ。完全屋内飼育の場合、ほぼ絶望的らしいのだが、外に出すことがあるネコは可能性がゼロではないらしい。

夜、事の顛末を聞いた自分は、早速、地元の友人でもあるその獣医と話した。
でも彼は、うちの母にはああ言ったが「まず難しいだろう」と言う。昔ならいざ知らず、最近は一度逃げたネコが帰ってくるケースを聞かなくなったということだ。
とりあえず「病院に迷いネコの張り紙でも貼ることにしようか」ということで電話を切った。

「最近は」と獣医が断ったのは、子どもの頃の経験を話したからだ。
うちには歩いて出かけるとよく途中までついてくるネコがいた。ただ、ある道を超えるとそれ以上追ってこない。途中でピタッと止まってこちらを眺めている。どうやらその辺りがヤツの縄張りだったのだろう。
でもある時、そのネコを抱えて近くの友だちのうちに連れていったことがある。手を離すとすぐに逃げ出したが、うちに帰ってみると、1キロ以上ある友だちの家からちゃんと戻ってきていた。
つまりネコは縄張りより先に行くことはないが、かといって隣の縄張りぐらいなら、ある程度わかっているような気がしていた。

ここ数日、東京は熱帯夜。
その夜も暑くて、夜中、アイスを買いに外に出た。
すると車の上にネコが。
何事もなかったように屋根の上に寝そべって涼んでいた。

もちろん、母は喜んだ。

東京では屋内飼育が推奨されている。
自分も母に何度かその話をしてきたが、昔からこの飼い方をしてきた母はガンとして受け付けない。

以下が平成11年3月「猫の適正飼育推進策について」として東京都動物保護管理審議会が出した答申だ。

屋内での飼育

猫を屋内で飼育すれば、飼い主とともに過ごす時間と触れ合う機会も増えるので、お互いのつながりがより親密になり、心豊かな生活を送ることが可能である。また、飼い猫を交通事故や感染症の危険から守れるとともに、猫による生活環境への被害を未然に防止することにより近隣住民とも良好な関係を保つことができる。
猫の特性をよく理解し、不妊去勢手術を実施するとともに、猫にも配慮した環境を整えれば、屋内飼育は十分可能である。東京都における猫の飼育実態調査においても、約8割の飼い主が猫の屋内飼育について肯定的な意見を持っており、今後はその有効性を飼い主が理解し、広く実践することが望まれる。

うちのネコは不妊手術もしている。他人に迷惑をかけるとすれば糞害と共通感染だろうか。糞害は近くにあるデカい墓園の茂みでしているみたいだから問題はなさそうだが、共通感染の責任はあるんじゃないかと思う。
だからこそ母に話すわけだが、ただそれでも自分は屋内飼いを推進する人たちの物言いのなかで納得できないものがある。

たとえば「飼い主とともに過ごす時間と触れ合う機会も増えるので、お互いのつながりがより親密になり、心豊かな生活を送ることが可能である」とあるが、屋内飼いの方が「親密に」なるのだろうか? ましてや「心豊かな生活」というのも偽善めいたものを感じる。

どういう言い方をするにせよ、屋内飼育というのはネコを部屋に閉じこめているのだ。
そこに一抹の後ろめたさを持たずに、「心豊かな生活」と言いきるのはどうかと思う。
中にはネットなどで「それでもネコは幸せである」と言いきられる文章に出くわすことがある。
だが部屋に閉じこめることで、そのネコの持つ特性を矯めている可能性はゼロではないはずだ。実際、うちのネコは屋内外飼育をしていたからこそ戻ってこれた。
ヤツは毎日、朝早くからネコの集会にも参加しているみたいだ。そうやって地域のネコたちとコミュニケーションを図りながら、ネコにはネコの生活があったのではないか。

ネコの気持ち
これが自分のコドモならどうだろう。
学校でいじめに遭うからと、親が部屋に閉じこめておくだろうか。外に出ると暴漢に襲われるかもしれないし、交通事故に巻き込まれるかもしれないから、死ぬまで部屋にいなさいと言うだろうか。
「飼い猫を交通事故や感染症の危険から守れる」というのもどういう思想性のもとで出てきた言葉なのだろう。

別に自分は屋内飼育を否定する気はない。むしろ都会に住む以上、その飼い方でないとまずいんじゃないだろうかとすら思っている。
ここ多摩地域も住宅の造成が進んで、昔のように空き地や原っぱが激減している。密集した住宅空間に屋内外飼育は問題が生じやすいだろう。ましてやアスファルトで覆われた場所やマンションで飼うとなると屋内飼育は必須だ。

でも、それでもやはり、ネコの飼い主にはちょっとぐらいの後ろめたさは持つべきじゃないかと思う。自分が母には「屋内飼い」を強く言えないで多少の罪悪感を感じているぐらいには。
ホントは東京みたいな都会で、ネコなんて飼ってはいけないのではないだろうか。
そんなことを思った。

ネコが戻ってきた次の日、早速、病院に連れていった。
リュック型のケージにネコを入れ、原チャリで搬送したのだが、ネコは最後までギャースカ騒ぎまくっていた。
病院では、先約の治療が長びいているみたいだ。どうやらお話好きのおばさんが、人のいい獣医のセンセを相手におしゃべりに興じてしまっている。
時間ぴったりに行ったので、すぐ終わるものと思ってケージから出してしまっていた。
順番がくるまで、しばらくの間、逃げないようにネコをしっかり抱きしめた。ネコは逃げようともがく。だからいっそ強く抱く。心臓の鼓動は早く、肌色のはずの肉球はかなり赤くなっていた。

それがいけなかった。
自分はネコアレルギーなのだ。ネコを5分以上抱いていると、ジンマシンと呼吸困難に襲われる。
案の定、その夜は鼻の廻りが炎症を起こして、眼を明けることができなくなっていた。痒くてたまらない。

ということで、本来なら今週中に永瀬・癒らし。のレビューをここに書いて、しかも今日はマニュアルにデータをアップする予定だったが、それができそうにない。
昨日も夜中、後輩に呼び出されたし。

今日の言い訳はこれにて終わり。
このblogのカテゴリに「今日の言い訳」というのを増やそうかなぁ。

あと、独り身の男に悩みを相談してくる君たち。
これから君たちにはこれしか応えないことにする。

仕事先で悩んでる→だったらそんな仕事やめちゃえ! オマエの人生だ。
家庭でいろいろあってさぁ→離婚しろ! 楽になるぞ。
金が貯まらない→まず酒とパチンコをやめろ! 話はそれからだ。

確かに人間もネコも劣化しているのかもしれないな。
都会暮らしというのは、そういうことなのかもしれない。

また夢ぇなるといけね 

  • [2007/08/09 11:38]

おととい、たまたま昼前に仕事が終わってしまったので、散髪屋をやっている地元のヤツんちに冷やかしに行ってみたら、いきなり休みにしてやがった。「なんだ、この殿様商売ぶりは」と思ってメールすると、その曜日は前から定休日だったらしい。
そいつんところで髪は切らないから、いつ定休日かマジで知らんかった。

そいつは今、2人いる子どものうち、下の女の子と自転車で市民プールに向かっているとこだという。

その日は暑かった。全国的にそうだろうけど、ここ東京も朝からどんどん気温が上がって、夏真っ盛りだ。

「そりゃ、いいなぁ」って返信したら、「なんだったら、おいでよ。カミさんが上の子と出かけていて、下の子と2人なんだ」「おぅ、そんじゃ、海パン探して向かうよ」早速、支度してプールに向かった。

久しぶりに市民プールに入ったけど、大人は100円なんだなぁ。安っ!
2人で子どものお守りをしながら、いつものように昔話をしたり、この昼日中、外で働いているであろう建築業のともだちに「今、2人でバリに来てる」とかって写メールを送りつけて過ごした。

で、当然ながら日に焼けた。
その日はなんともなかったんだが、昨日からどうも背中がひりひりして痛い。しかも痒い。
裸になると肩なんか赤く腫れている。腕の方は単に黒くなっただけだが、普段、日にさらさない背中や太ももは、軽い低温やけどを負ったみたいだ。
体全体が熱っぽい。そのせいかやたら眠い。すぐ寝てしまう。

ということで、ホントは今日、データをアップする予定だったけど明日になる。
データは吸い上げてんだけど、レビューを書くのに集中できん。

まぁ、あとAVより読書をする時間が増えていることもあるんだよね。
開高健を読み出したのがいけない。もともとAV代より本代の方が嵩んでいるしね。積読してあった本を一気に読み始めてしまっているってこともある。

もっとも昨日読んでしまったのは『草枕』だけど。

やっぱり漱石はいい。この人はもともとアマチュア作家だったんだよね。文壇デビューはかなり遅い。だから、当時の職業作家からは冷ややかな目で見られていた。
でも鴎外もそうだけど日本の近代小説は他分野で活躍していた人の、余技や趣味で書いたものが結局その礎となっている。

極めることに、趣味も仕事もないんだよな。
ユーザーっていうのは最終的に、その極めた技を見たくて対価を払っているわけだし。
だから趣味と仕事の立て分けにこだわるヤツは、むしろ時代に取り残されていくんじゃないかと思うね。

いやぁー、実はあるblogを見てて思ったんだけどさ。
「納得いかない仕事には金はもらわねぇ」って、気っ風がよくて気持ちがいい。
そういう職人気質の人って昔はいっぱいいた。昔からある道徳的気風の1つ。日本人の職業的美意識といってもいいだろう。

その職人の美意識を否定するようなヤツの作っているもんなんかに、こっちが汗水垂らして稼いだ金をつぎ込みたいとは思わねぇーな。こっちは技を見にきてんだ。技を持っていればプロとかアマとか関係ない。
金を払うというのはそういうことでしょ?

なんて書いていたら、なぜだか「芝浜」が聞きたくなっちゃった。
昔から「職人気質」が好きなのは、江戸の古典落語を聞いて育ったせいかなぁ。
しょうがねぇーや。ちょっくら地元の図書館行って借りてくっか。

朗報でい! 

  • [2007/08/05 11:46]

いやいや、毎年そうだけどこの時期はなんやかやあって、夜は外に引っ張り出される。
だもんだから、AVを見ている時間がない。
いや、見てはいるんだけど、じっくり見ている時間がとれない。
酒が入っちゃったり、疲れ切っちゃったりでなかなか難しいんですよ。

まぁ、そうも言っていられないんでね。来週は更新をがんばります。
とりあえずアロマの淫語作品と「雌女」をあげることにします。こうやって書いておけばがんばれるでしょう。
あと「癒らし。」もやるぞ。

それと昨日、渡辺琢斗監督からメールをいただきました。
みなさん、喜んでください(特にKickさん)。
先月末に、「淫語中出しソープ」が撮影されたそうです。おそらく早くて10月ぐらいのリリースになるとのこと。これでシリーズ化の目処がたったということなんでしょう。
半年に1回ぐらいなんだから予約して買いましょうね。

ちなみに女優さんは桜沢まひる(おうさわ まひる)さんという方だそうです。
私は知りませんでしたが、いくつかの作品のパケを見て判断する限りムチムチしてました。
そこはそれ、AVS規格。当然、ムチムチファンもいけるでしょう。

そういえば中出し淫語ファンの人が淫語スレにいたはずだけど、どうしているのかなぁ。
とりあえず真正中出しだからねぇ。自分は淫語さえ聞ければ、擬似中出しでもかまわない派なんだけど、まぁ、そこが好きな人は是非見ましょう。
MOBだけがガチなわけじゃないぞ。

んで、今日も昼からお出かけなのであった。

文壇アイドル論における「おまんこ」 

  • [2007/08/02 12:14]

6/27付けの記事。「おまんこがいっぱい」から淫語を考えてみる。の続き。

あの当時、上野千鶴子がなぜ受けたのか。
文芸評論家の斎藤美奈子は『文壇アイドル論』の中で、2つ理由をあげている。
1つは「彼女の言説が『男の鑑賞にも堪える』ものだった」こと。
もう1つは「ケンカ好き」で「論争にだけはめちゃめちゃ強かった」こと。

aidol.jpg
文壇アイドル論

斎藤 美奈子 (2002/06/27)

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要するに斎藤の結論は「上野千鶴子の強味は、やはり理屈(含む屁理屈)の部分」ということである。
その論理的な言説が、比較的、男性には受け入れやすく、またバブル期にさしかかり「若い女性」が消費された時代において、それに違和感を感じる女性たちにも納得させうるものだったからとしている。

自分が問題にしたいのは次のくだり。

『女遊び』は女性器アートで目をひく本だといいましたが、それ以上に話題になったのは巻頭に収められた書き下ろしエッセイです。それは「おまんこがいっぱい」と題されていました。

おまんこ、と叫んでも誰も何の反応を示さなくなるまで、わたしはおまんこと言いつづけるだろうし、女のワキ毛に衝撃力がなくなるまで、黒木香さんは腕をたかだかとあげつづけるだろう。それまでわたしたちは、たくさんのおまんこを見つめ、描き、語りつづけなければならない。そしてたくさんのおまんこをとおして”女性自身(わたしじしん)”がみえてくることだろう。(上野千鶴子「おまんこがいっぱい」/『女遊び』一九八八年)

これを「ダサい」といわずして……。一〇年前ならいざ知らず、いまごろ「おまんこ」もねえだろおよ。リアルタイムで読んだときの、それが私の率直な感想です。

「上野千鶴子 バイリンギャルの敵討ち」『文壇アイドル論』岩波書店 2002年

この反応が面白い。
なぜ、彼女はダサいと思ったんだろうね。
しかも、なんで10年前なら「おまんこ」文はOKなのかは、この時点ではよくわからない。
そこでさらに読み進めていくと、

くだんの「おまんこ」だって、もとはといえばリブ的言説。七〇年代のベストセラーにとっくに書かれていたことでした。

神代の女のそれは「ほと」とよばれた。/熊本の女のそれは「めめ」とよばれた。/大阪の女のそれは「おめこ」とよばれた。/東京の女のそれは「おまんこ」とよばれた。/(略)/現代人である私たちは「ほと」という言葉ならなんのためらいもなく口にすることができるけれど、「おまんこ」とは言いにくい。山梨の人びとはブリジット・バルドーの愛称「べべ」を発音するのにかなりの抵抗を感じるし、四国のある地方では、「夜霧に消えたチャコ」という流行歌が禁歌に近い扱いを受ける。(中山千夏「女の性器はだれのもの?」/『からだノート』一九七七年)

一九七七年の時点で、こうしたエッセイには意味があったことは認めなければなりません。第二派フェミニズムは、女が女の身体を肯定的にとらえることにも大きなウェイトがあった。ウーマンリブの流れをくんだ「女のからだ」系の書物は八〇年前後にブームにさえなっています。
(略)ただそれは八〇年代も初頭までの話、八八年に「おまんこエッセイ」はない。

この中山千夏の本は、中学生ぐらいの時に読んだ。
なぜかうちにあったんだよねぇ。んで、まだその当時は女性の生理とかよくわからなかったからさ。事実上、自分にとっては「目からウロコ」の性教育本だった。

しかも今から考えてみると、伏せ字のない「おまんこ」という四文字を活字で見たのは、この本がはじめてだったかもしれない。
実際のところ、どうなんだろうね。 辞書を抜かせば、伏せ字なしの本となると、自分が遡れるのはこの本ぐらいなんだが。

んで、だ。
斎藤美奈子なんだけど、なぜ「88年におまんこエッセイはない」のか。80年代初頭と末とではどんな境目があったのか。
どこを読んでも今ひとつはっきりしない。
むしろ、中山千夏がこの時、なぜ「おまんこ」を口にしたのかその背景を考えれば、斎藤のこの反応はむしろおかしいと思う。

言葉というのものは、使う人びとの意識によって、その内容を変えてゆくものだ。
どんなに新しいすてきな名前を女の性器につけたとしても「性行為の際だけ女の性器とかかわる男の意識」でその名前が使われるなら、やがてその名前にもいかがわしいよごれがこびりついていくるだろう。
逆に、ワイセツな陰語になっている名前を、まったく違った意識をもってどんどん使っていくことで、よごれを落とすことができるかもしれない。
私が、今とりあえずとっているのはその方法だ。なるべくだれでも知っている言葉の中から、いちばん好きな「おまんこ」を選んで、これを私の性器の俗称に決めた。使う時には、厳密に性器の意味でしか使わない。性行為を指したりしないのは、もちろんのことだ。
そう決めてしまったら言葉に対する嫌悪感も薄れる。はじめは少しとまどっていた友人たちも、この言葉の使われ方を知ると、だんだん気にしなくなった。性器についての話などは、気のおけない友人たちとするぐらいだから、この言葉を発したために騒ぎが起きた経験はない。

中山千夏「話しちゃおう」『からだノート』ダイヤモンド出版 1977年

斎藤のように「おまんこエッセイ」はないと反応する女性がいるかぎり、中山千夏も上野千鶴子も「おまんこ」を口にする意味があるのではないか。それは21世紀に入っても状況的には変わらないと思う。
金原ひとみの小説に対して嫌悪感を抱く女性がいまだにいるしねえ。

ホントのところ、斎藤美奈子は「おまんこ」という言葉に対してどう思っているんだろう。
「いまごろ『おまんこ』もねえだろおよ」と思う斎藤美奈子は、「おまんこ」という言葉に過剰反応しているようにすら思えるんだが。
なぜ彼女は「おまんこ」文を否定するのか。

あくまで私の推測ですが、「おまんこがいっぱい」に拍手喝采したのはごく少数、おそらくその一〇倍以上の人が「バカじゃないの?」と思ったのではないでしょうか。これはフェミニズムに賛同するとかしないとかの問題ではありません。<おまんこ、というコトバを口にしたり、おまんこについて語ったりする時のわたしは、チンチン! と叫ぶときの六歳のコドモのようなところがある。すまし顔のオトナがとつぜんやーねと顔をしかめるのがうれしくて、ただそれだけの反応をひき出すおもしろさに夢中になっているところがある。>(「おまんこがっぱい」)てな物言いに共感する人がそんなにいたとは思えない。世間知らずのレッテルを貼ってやりたくなるのがオチです。

「上野千鶴子 バイリンギャルの敵討ち」『文壇アイドル論』2002.6.26

『文壇アイドル論』が発刊された2002年といえば、年末に『ヴァギナ・モノローグ 』というアメリカの本が翻訳された年だ。これは女性たちが自分の「ヴァギナ」について語る一人芝居を本として出版したもので、芝居自体は日本でも何回か公演された。
日本では「ヴァギナ」というコトバは「おまんこ」や「おめこ」に直され上演されていたらしい。

ヴァギナ・モノローグヴァギナ・モノローグ
(2002/12)
イヴ エンスラー

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「ヴァギナ」。言ったわよ。「ヴァギナ」――ほら、もう一回。この三年間、わたしはこの言葉を、何度も何度も言いつづけてきた。国じゅうの劇場で言い、大学で言い、人の家のリビングで、カフェで、パーティーで、ラジオ番組で、言いつづけてきた。お許しさえ出れば、テレビでだって言っただろう。『ヴァギナ・モノローグ』を一回上演するごとに、わたしはこの言葉を百二十八回口にする。これは年齢も人種もまちまちの、二百人以上の女性たちにヴァギナについて訊ねた、そのインタビューをもとに書きおこした一人芝居だ。わたしは寝言でもこの言葉を言う。言ってはいけないことになっている言葉だから、言う。人目を忍ぶ言葉だから――不安や混乱、軽蔑、嫌悪を引きおこす言葉だから――だから、この言葉を使う。

イヴ・エンスラー 『ヴァギナ・モノローグ』岸本佐知子訳 白水社 2002.12.30

この本が翻訳された年に、斎藤がいまどき「おまんこ」はないと言いきることには皮肉なものを感じてしまう。

「おまんこ」という言葉への距離感は当然のことながら個人差があると思う。
ただ単に「斎藤美奈子」にとっては、いまだに「おまんこ」という言葉が生理的に受け付けないだけなのではないか。
普段から「おまんこ」を口にする女性は多くはないかも知れない。だからといって決して少ないというわけでもないというのが自分の実感だ。

ただ、これはあくまで自分の経験則から出ている話でね。
実際は、いまだに謎なんだよね。地域差もあるような気がするしなぁ。文化的背景というかさ。
アメリカと日本じゃあ、やっぱり全然、違うはずだし、江戸時代の文献とか読むとさ、そんなに淫語がダブー視されていたとは思えないんだよなぁ。
日本でその言葉が禁忌の言葉にされたのは、明治期に西洋化していく文明と関係あるのかもしれない。キリスト教社会への近代化が古来からのいくつかの習俗を禁忌化していったことは、間違いのないところだからね。
当然、関東と関西では違うと言うことも考えられる。
斎藤は東京風で、上野は関西風なのかもしれない。

ときどきさぁ、日本全国を歩き回って、淫語調査してみたい衝動に駆られることがある。
ただどうやってやるのかが問題だけどね。

自分にとって「淫語」はいまだに不思議な呪文なんだ。
男女に限らずそれに嫌悪感を示す人がいるのはどうしてなのか。なぜ、それを恥ずかしがる人がいるのか。
平気で口にできる女性が、いざコトをいたすとなったら、急に恥ずかしがって抵抗したりね。
Marin.の小悪魔の教室で、Marin.に淫語を言わせまくっていたはずのK*WESTが、逆にMarin.からこの先汁は何かと聞かれて、なぜか言いよどんでしまうように、淫語というのは意識し出すと急に言えなくなってしまうこともあるんだな。
実に不思議な言葉なんだ。

さらになぜかその言葉を使うことによって、女性のホンネが聞こえてくる気がするんだな。男の場合以上にそれは感じる。
この点においては、フェミ風な意味でとらえている『ヴァギナ・モノローグ』と、SEXの指南に近い『プラトニック・アニマル』とが非常に似通ったことを言っているんだよね。

だから次回は、代々木忠監督の『プラトニック・アニマル』の話。
ちょっとフェミ臭が漂いすぎたので、一度、AV関連に戻そうかと。

それと『文壇アイドル論』の中での引用で、1つ、おもしろい指摘があった。
呉智英が「上野の場合は、不良言葉を使っているけど、ツッパッているだけで禁語にはなっていない。もし男性社会の隠語に挑戦するというなら、あの人は富山出身なんだから、ゾッペ、チャンベといわなくちゃ。おまんこと言ったって恥ずかしくないんだよ(呉智英談「週刊朝日」1990年2月8日号)」と言っているんだけど、この「不良言葉」という語感は確かにあるかもと思った。

女性が淫語を多発している小説を読むと、キャラ的にやさぐれた感じがしてしまうのは、もともと不良言葉として潜行していたからかもしれない。
このあたりにも何か鉱脈がありそうな気がする。
それに淫語は「おまんこ」だけではない。
男性器はどういう位置づけになるのかと考えると「不良言葉」からのアプローチはありかもしれない。

ところで「ヴァギナ・モノローグ」の公演だけど、アリーmyラブのキャリスタ・フロックハートも出演したことがあるらしい。
脳内変換すると若村麻由美が「おまんこ」を言いまくっていたのかと思ってちょっと萌えた。

若村麻由美の声はスキなんだよなあ。

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