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「猫と遊郭」 画で見るその3 

  • [2009/10/31 23:59]

今日は薄雲太夫の話を中断して、画で「猫と遊郭」を見てみることにしてみよう。(画像をクリックすると拡大する)

北尾政演画吉原傾城新美人合自筆鏡
まず最初の画は山東京伝が書いた「吉原傾城新美人合自筆鏡」(千葉市美術館蔵)。
道中を描いているこの画は遊郭の生活に精通し、自ら吉原の遊女を女房とした山東京伝ならではの画で、中央下に2匹の猫が戯れているのが確認できるだろう。(一匹、動きが犬っぽく見えるけど…)

百川子興「美人に猫図」
2枚目は江戸中後期、西暦でいうと1800年前後に活躍した画師、栄松斎長喜が書いた「美人に猫図」(東京国立博物館蔵)。
浮世絵では「美人と猫」というモチーフはよく描かれる。そういう意味では遊女に限ったことではないのだが、しかしそれにしても犬の方は猫よりも少ないように思う。
当時は今みたいに小型犬が一般的でなかったせいだろうか?

歌川広重 「浅草田甫酉の町詣」
次は広重の「浅草田甫酉の町詣」。
吉原の妓楼から浅草酉の市の様子を眺めている猫を描いた画だ。
吉原の目と鼻の先にある鷲神社は毎年11月の酉の日に酉の市がある。
この日は吉原も特別な日となっていて、ふだんは閉まっている大門以外の門もこの日ばかりは開け放たれ、遊女も鷲大明神までお参りに行ったりしたそうだ。
酉の市まで出てきた野郎は、そのまま吉原にくり出すって流れがあったらしい。

池田蕉園「秋苑」
最後は遊郭とは関係ないけれど、自分がかなり気に入っている池田蕉園の「秋苑」(福富太郎コレクション蔵)という美人画。
この池田蕉園は京にいた上村松園と比されて、「西の松園、東の蕉園」なんて言われていたらしい。

この焦園の旦那が同じ画家の池田輝方という人で、あまり詳しいことはわからないんだけど、ウィキペディアを読む限りなかなか面白い夫婦だったようだ。

この池田輝方の書いた文章が青空文庫にあったんだけど、文章の出来はともかく妙に印象深い怪談だったので、夜の堀っぱたを見るとときどき思いだしてしまう。

「猫と遊郭」 ちょっと中だるみのその2 

  • [2009/10/29 23:54]

猫耳ってさぁ、大島弓子のマンガのキャラを見たときからずっと思っていることなんだけど、あれって顔の横には人間の耳はついてないんだよね、きっと。
そんで横髪をたくし上げると顔の横はやっぱりつるんつるんしてるってことになるんだよねぇ、おそらく。


今日更新した「萌えっ娘 痴女 だぶるぷに」にも、猫耳バンドをつけてるコーナーがあったんだけど、耳が見えてしまうもんだから、あらためてそのことを思った。
でもあまり違和感が感じられない。結局猫耳って、見た目「耳」というより「角」なんだろうなぁ。

「うる星やつら」のラムの角も、「綿の国星」が先にヒットしてたから、あまり違和感なく受け入れられたのかもしれない。
(と思ったら、この2つの作品は1978年の同時期にスタートしたのね。【追記】)


さて早速、この間の続き。

其比、太夫、格子の、猫をいだかせ道中せし根元は、四郎左衞門抱に薄雲といふ遊女あり、此道の松の位と経上りて、能く人の知る所也、高尾、薄雲といふは代々有し名也、是は元禄七八の頃より、十二三年へ渡る三代薄雲と呼し女也、近年板本に、北州伝女をかける、甚非也、但し板本故、誠をあらはさゞるか 此薄雲、平生に三毛の小猫のかはゆらしきに、緋縮緬の首玉を入、金の鈴を付け、是を寵愛しければ、其頃人々の口ずさみけると也、夫が中に、薄雲に能なつきし猫一疋有て、朝夕側を離れず、夜も寢間迄入て、片時も外へ動かず、春の夜の野ら猫の妻乞ふ声にもうかれいでず、手元をはなれぬは、神妙にもいとしほらしと、薄雲は悦び、猶々寵愛し、大小用のため、かわや雪隱へ行にも、此猫猶々側をはなれず、ひとつかわやの内へ不入してはなき、こがれてかしましければ、無是非夫通りにして、かわや迄もつれ行、人々其頃云はやし、浮名を立ていひけるは、いにしへより猫は陰獸にして甚魔をなす物也、薄雲が容色うるはしきゆへ、猫の見入しならん、と一人いひ出すと、其まゝ大勢の口々へわたり、薄雲は猫に見入れられし、といひはやす

燕石十種 第五巻 中央公論社 1980.1.25発行 27p

このあとまだまだ続くのだけれど、取り敢えずこのあたりでいったん切って、ここでひっかかったところを。

「近年板本に、北州伝女をかける、甚非也、但し板本故、誠をあらはさゞるか」と小さく書かれているところなんだけど、これの意味が取れなくてね。
ここは作者の補足(というより蛇足)情報なので、意味がわからなくても訳出する上で大過はないんだけど、意味が取れないのは気になるんだよね。

「北州」というのは吉原のことなんだけど、「吉原の女性」について書かれている本ってことだろうか? いわゆる「吉原細見」などが、「北州伝女をかける」ってことになるのかなぁ。
それとも吉原の伝説の遊女について書かれていた本なのか。

ということで訳しては見たものの、ここはちょっと自信がない。

そのころの太夫や格子女郎が猫を抱いて歩くようになったのは、三浦屋にいた薄雲という遊女による。この薄雲は吉原女郎でも太夫まで登りつめた、世間にもその名の通った人気の遊女だった。
「高尾」「薄雲」というのは吉原において代々引き継がれる名で、この時は元禄七、八年から十二、三年の間に活躍した三代目にあたる「薄雲」という女だった。(最近、出された吉原の遊女の本は、内容がはなはだいい加減である。ただし板本程度ゆえに事実に即した内容とはならないものなのかもしれない)
この薄雲太夫は日頃から三毛の小猫を愛翫し、緋色の首輪に金の鈴をつけてかわいがっていた。そしてそのことは当時の人々にも広く知られるところであった。

その猫の中でも、特になついていた一匹は、朝も夕も薄雲から離れない。夜は寝間まで入ってきて片時も離れず外に出ようとしない。春の夜などで野良猫がさかるようになっても、その声にも見向きもしないで、じっと傍らにいて神妙にしている。なんとも愛らしいことと薄雲は喜び、ますますその猫を可愛がった。

大小の用たしにかわやに行くときもこの猫はなおいっそう側にいようとする。かわやの中に入れよとうるさいので、仕方なくその通りにしてかわやまにも連れて行くようになった。

そうなると人々はある噂を立てるようになった。「昔から猫は陰獣といって、はなはだしく魔事をなすものだ。薄雲の容貌がうるわしいので、猫に目をつけられたのだろう」と誰か一人が言いだし、たちまちのうちにそれが人々の口にのぼるようになって、「薄雲は猫に魅入られた」と言い囃されるようになった。

今回のポイントは、薄雲が好んだ猫は「三毛」で、しかも「緋色の首玉」に「金の鈴」ってことだね。
これってまさしく「招き猫」でしょう。おそらくこのあたりで「招き猫」と関連づけられたのだろう。

ところで猫好きの人なら知っていると思うけれど、三毛猫ってほとんどがメスで、オスは滅多にいないんだよね。
だからふつうに考えれば、この薄雲の猫もメスだったはず。オスだったら逆にそのことが言及されてなきゃおかしい。三毛のオスはそれだけで珍重される。高価な取引きがなされてたと言われるぐらいなんだから。

実はこの薄雲の猫好きについては、あの曲亭馬琴も『巷談坡堤庵』という読本の中で取り上げている。

だがそこには「牡猫」とは書かれいるけれど、とりたてて「三毛だった」とは書いてない。
この話では薄雲が惚れた男の、子を懐妊するのだけれど、周囲には誰の子かを言わないものだから、「猫の子を身ごもった」と噂されたって話になっている。
しかもこのあと薄雲は男に振られて自害してしまう。もちろんこれは馬琴流のフィクションなのだろうが。

薄雲の活躍していた時代は『著聞集』の記述通りなら元禄7年(1694)から元禄13(1700)年の6年間。
年季明けの元禄14年には「忠臣蔵」の松の廊下の事件が起こり、浅野の殿様が切腹することになる。
「京町の猫通ひけり揚屋町」の句を作った宝井其角も、赤穂浪士の大高源吾と仲が良く、「年の瀬や水の流れも人の身も」と「あした待たるるこの宝船」のやりとりで討ち入りの日がわかるくだりは、いかにも江戸っ子が好みそうな話だ。

その50年後に『近世江都著聞集』(宝暦七年 1757)が書かれ、さらに50年後、馬琴が読本(文化五年 1808)を書いているので、三代目薄雲太夫の猫好きの話は100年経っても有名だったってことだろう。

つまりここまでの話はおそらく史実に近いのだろう。
三代目薄雲太夫は猫好きだった。そしてそののちもしばらくの間、超人気女郎の薄雲太夫にあやかって猫を飼う遊女がたくさんでてきた。

だけど『著聞集』はこっから奇っ怪な話を続けるんだね。
といってもよくある報恩譚の一種でもあるんだけど。

「猫と遊郭」 たぶんその1 

  • [2009/10/26 23:30]

原紗央莉は「パーフェクト女優誕生」っていうのが、淫語があるというので買ったのが最初。キャリアのあるAV女優に技を伝授してもらうってことで、はるか悠と赤西涼が淫語を言わせてくれていた。
でもやっぱりデビューしたてということもあるのかぎこちなくて、最後にカラミがあるのだが見ているうちに単なる「イモねぇーちゃん」にしか見えなくなっていた。

そのあとカン松が撮ったヤツをレンタルしたけど、花のあるきれいなお嬢ちゃんでロードムービーを撮ってもあまりパッとしない。
やはりカン松はもっと過去のある女性が出てこないと画に深みがでない。
「単なる小娘じゃん」と思って、さぁーと見て返した。

今回、「手コキ・淫語・痴漢女」を(つーか、痴漢女って何だよ)見たらうまくなっていた。
「AV嬢たるもの半年も見ざれば刮目して見よ」ってことですかね。


ボヤキで書きたいことがいっぱいあるんだけど、ことの発端は二村さんに「以前ブログに書かれていた『江戸の遊郭と、猫は、関係が深い』というのは、現代の独身女性が猫を飼うことがあるのと似てますかねえ?」という質問というかなんというか、まあそういうお題をちょうだいしたことから。

これにこたえるべく、まあいつものように長文の返事を書いてたんだけど、実際かなり長くなってしまってしょうがないので途中から端折って「くわしくはボヤキで」みたいなことを書いて返信した。
でも書いてるうちにさらにあっちこっち引っかかって、ますます収集がつかなくなっているんだよね。

まあとりあえず自分の思考をたどってわかってることわからないことそのままに思い浮かぶまま書いていきますか。
なんだかおっちゃん楽しくなってきたぞ。別に二村さんの質問はどうでもよくなってきた。どうせ1回は答えてているんだし、こっからあとは好きなように気が済むまで書くぞってことで。


まず「猫と遊郭」でよく引き合いに出される文献は『近世江都著聞集第五』にある「三浦遊女薄雲が伝」のところだろう。

近世江都著聞集第五

   三浦遊女薄雲が伝
晋其角句に、
 京町の猫通ひけり揚屋町 此句は、春の句にて、猫通ふとは申也、猫サカル、猫コガル、おだ巻の初春の季に入て部す也、京町の猫とは、遊女を猫に見立たる姿也といふ、斯有と聞へけれども、今其角流の俳諧にては、人を畜類鳥類にくらぶるは正風にあらず、とて致さず、此句は、元禄の比、太夫、格子の京町三浦の傾城揚屋入の時は、禿に猫を抱させて、思ひ思ひに首玉を付て、猫を寵愛しけり、すべての遊女猫をもて遊び、道中に持たせ、揚屋入をする事、其頃のすがたにて、京町の猫揚屋へ通ふ、と風雅に云かなへたりし心なるべし、

燕石十種 第五巻 中央公論社 1980.1.25発行 26p

二村さんに送ったときも、ざぁーと訳してはみたんだけど逐語訳に近かったのでもう少し手直しした形で訳してみますね。

宝井其角の俳句に
 「京町の猫通ひけり揚屋町」
というのがある。この句は春の句で「猫通う」と言っている。(ほかに猫さかる、猫恋がるなど)おだ巻きの初春の季語に分類されている。
「京町の猫」とは、遊女を猫と見立てていたことをいう。確かにそうなのだろうが、其角流の俳諧では人を畜生にたとえるのは正当ではないとして、このような(人を猫にたとえるような)句は作られることはない。
この句は元禄の頃、太夫や格子女郎が揚屋(上客と落ち合う茶屋)に向かうときにお付きの少女に猫を抱かせて、思い思いに首玉(首輪のようなもの)をつけて猫をかわいがるようなことが流行った。
すべての遊女は猫を愛翫し、道中は猫を持たせて揚屋入りすることがその頃の吉原のならわしのようになっていたので、「京町(吉原の一つの町)の猫が揚屋に通う」と風雅に謳ったのであろう。

このあとに「其比、太夫、格子の、猫をいだかせ道中せし根元は、四郎左衛門抱に薄雲といふ遊女あり」という文章が続き、ここから有名な薄雲太夫と猫のエピソードが語られていく。

実際に道哲にあったと言われている猫塚や、そのあとに付加された「招き猫」の発祥まで、ここからいろいろ話が広がる。
この三代目薄雲太夫の話を二村さんへのメールでかいつまんで紹介したので、もっと詳しくボヤキで書きますってことにしたんだけど、その前に冒頭の「おだ巻の初春の季に入て部す也」というのが引っかかるんだなぁ。

この「おだ巻き」ってなんだろうね?

素直に読めば、「苧環」つまり昔使われていた糸車のことだけど、その「苧環」というのはなにか季語と関係があるのだろうか?

それでずっと「おだ巻き」「小田巻き」「苧環」で検索しているのだがよくわからない。

たぶん「おだ巻き」って俳諧の本があるんだろうね。自分の知っている範囲では「詞の緒環」という天保年間に書かれた文法の本があるんだけど、そういうのかなぁなんて思った。
だから「おだ巻の初春の季に入て部す也」とは、「『おだ巻き』という俳諧の解説書にある『初春の季の部』に『猫』が入るなり」って意味なのかもしれない。
【追記】ひょっとしたらこれか。『俳諧をたまき綱目大成』竹亭 [撰]

ところでこの「おだまき」だけどさ。
「糸車」って言ってもいろいろあって、どんな形をしているのかってたぶん民俗資料館みたいなところに行くのが好きなヤツぐらいじゃないと、わからないんじゃないかと思ってさ。
んで画像で検索してみたんだけどこれがまた少ないね。ネットではたいてい苧環の「花」の方ばかりがヒットしてしまう。

やっぱりネットの情報って結構、偏っているんだよなぁ。

だからさぁ、たとえば静御前が鶴岡八幡宮で舞ったときの「しずやしず しずのおだまき 繰り返し」って言う意味も実はあんまりピンとこないんじゃないかって思ったりするのよ。
苧環をしらないんだから、賤の苧環を繰り返すって言われてもなぁ。
映像的に浮かんでこないよね。

平家物語の第八に「緒環(おだまき)」の段というのがある。
これは平家物語にはよくあることなんだけど、ここで語れる「おだまき」の挿話は物語の本筋とまったく関係がない。最初の方でちょっと木曾義仲に追われた平家の話が出てくるんだけどこの話のメインである「緒環」の話はそこにちょい役で出てくる緒方三郎維義って武将の、その先祖の話。なんで先祖の話がでてくるんだってことなんだけど、話の筋はこう。

昔、山里にある女が住んでいた。そこに夜な夜な通ってくる男がいる。
そのうち女の腹がどんどん大きくなりだしたので、さすがに女の母親が問いつめると、娘は「来るのは知っているが、男がどこに帰るのかは知らない」と言う。

そこで母親は娘に入れ知恵をして、男が帰る前に男の服に針糸を刺して、「倭文(しず)の緒環(おだまき)」にくくりつけさせる。何も知らない男が帰るのを娘が糸をたぐってついていくと、姥岳という山の麓の岩屋にたどり着く。
そこで女が声をかけると、中から「私は人の姿ではない。お前が私の姿を見たら生きた心地がしないであろう。すぐに帰れ。お腹の子は間違いなく男子であろう。弓や剣をとっては九州・壱岐対馬に並ぶものはおるまいぞ」と言う。
「どんな姿であっても私はかまいません。どうしてこれまでの契りを忘れることができましょうや」
「そこまで言うなら」と穴から現れたのが十四、五丈(42~45メートル)の大蛇。見るとのど笛に針が刺さっている。
女は気を失い、従者に担われてどうにかこうにか家に帰ってくる。

その後、ほどなく女は丈夫な男の子を産む。
のちに背の高い体の大きい子どもに成長するが、その男の子は夏も冬も手足にあかがり(あかぎれ)がいっぱいできるので、「あかがり大夫」と呼ばれるようになった。

そしてあの大蛇は日向の国の高知尾の明神のご神体だったということだ。

『平家物語』第八 緒環段 を淫語魔がてきとーに要約

この「あかがり大夫」というのが、緒方維義の5代前の先祖っていう、この話自体は「姥岳伝説」とも言われているお話。

でもこれってよくよく考えてみると夜這いの話じゃねぇーの。
そしてここでもまた蛇とまぐわうわけで、日本には蛇に娘が犯される話が少なからずあるんだよねぇ。蛇懸かりっていうのかなぁ。しかも実はその大蛇っていうのが、日向の国(今の宮崎県)の高千穂皇神(高知尾の明神)だっていうんだから、何が言いたいんだがさっぱりわからん。
つまり神さまが夜這いしていたってことですか?

ということで、日本の神さまも性欲に勝てないって話。

全然、二村さんのお題からかけ離れちゃってるじゃん。
以下次号?

亀頭の異称と言ったら雁首だろ 

  • [2009/10/22 00:51]

更新した鷹宮さんの「淫語痴女」だけど、よく聞くとイントネーションのおかしな台詞があった。
いちおう彼女のプロフィールには東京出身ってことになっているけど、ホントは九州の人なんじゃないかと思いながら見ていた。

だいたいAV女優の年齢と出身地ほどあてにならないものはない。
あるいは東京出身が本当だったとしても、両親のどちらかが九州人なのかもしれない。

あとマニュアルに指摘した「つめさき」だけど、ネイルをやっている人に「つめさき」と言う人が多いみたいだ。最近の流行なんだろうか?

でも「爪の先」はふつう「つまさき」だよなぁ。
「爪楊枝」を「つめようじ」とは言わんでしょ。

ウィキペディアでは「爪先」を足だけに限定している記述が見える。
だがそれは動物学でいう四つ足獣のことを前提に話しているわけで、日本語のもともとの成り立ちからすれば手指の爪の先も「つまさき」でしかるべきだ。

古語に「爪指(つまさ)す」という言葉があって、それは文字通り「指をさす」っていう意味で使う。まさか足の爪先でモノを指したりしないだろう。

また「爪先」には「爪根(つまね)」という対義語もある。こちらは「爪の根もと」のことだ。

今も使う言葉なら、「爪弾(つまび)く」というのがあるが、「ギターを爪弾く」と聞いて「足の爪」で弾いているところを想像するヤツはいないだろ。

それから、これもマニュアルで指摘したけど、チンコの穴は「鈴口」だよ。「尿道」というのはちょっと違う。

そう思って「広辞苑」で確認してみたら、なんと「亀頭の異称」と書いてあった。

それも違うだろう。

「鈴口」は文字通り、鈴の切れ目の穴にチンコの穴が似ているからつけられてるはず。「亀頭」は亀の頭に似ている部分を指すわけで、亀頭の先端が鈴口というのならわかるが、同じモノのはずがない。
おっぱいで言えば、乳頭と乳暈ぐらい違うんじゃないか。

ところでその鈴口は亀頭の一部なのだろうか?
一部と言っていいような気もするが、そうなると乳首と乳輪は違うような気もするからこのたとえは妥当じゃないのか?

いやまてまて。
着エロなどで乳首を隠すとき、乳暈も隠したりするはず。ニップレスも乳首だけじゃなく乳暈まで隠しているのが常套だ。
それなら乳輪と乳首は一体化したものと考えていいのではないか。

そーんなことばっかり考えてAVを見るからレビューするのに時間がかかるんだよね。

淫語好きっていうのは、言葉にうるさいんだよ。
特におっちゃんはうるさいぞ。

また一つ選択肢がへりましたとさ 

  • [2009/10/16 23:22]

今日、3タイトル買ってきた。

MAXINGの「愛がたっぷり淫語でイカせてあげる。 佐山愛」
PREMIUMの「手コキ・淫語・女子校生 ほしのみゆ」
同じく「プレミアム・ビューティー 光月夜也&如月カレン」

ちょっと見だけど、ほしのみゆは大して淫語を言ってなさそうだなぁ。
やっぱりこの子は苦手なんだろうなぁ。更新するの迷うなぁ。
もっともどっちにしたってあまり淫語を言わないんだから、とりあえずこれで我慢してもらうってことでアップしておくか。

たまたま見たところが言ってなかっただけかもしれないから、ちゃんとデータを抜いてから考えますか。

一方、「プレミアム・ビューティー」の方は睨んだ通り。
淫語作品ではないからそんなに淫語があるわけじゃないけど、光月夜也や如月カレンはやっぱりいいね。痴女淫語に関しては文句はない。

むしろこの2人にはどMな強制淫語を聞きたい。
どうしても痴女アドリブはバリエーションが偏るんで、いろいろ言わせるんだったら淫語の強要しかないでしょう。
実際、この作品もチンポは言ってないようだから、チンポ好きの人はスルーするがよろしかろう。

問題は佐山愛のヤツ。

こりゃひどいね。
淫語はいっぱい言ってくれている。
おちんちんもちんぽも言っていて種類もそこそこある。
佐山愛自体は肉感的で表情もいい。台詞回しもこれぐらいなら及第点だろう。
この女優のファンならずとも、このパフォーマンスならじゅうぶん抜けるレベル。

だが企画構成演出がすべてダメ。男優の淫語煽りもなっていない。
特に最初の「勢いで無垢な妹をFUCK」というコーナーにいたっては、あまりのセンスのなさにあきれはてた。
ここは主観映像なのにわざわざ男性の声を入れている。入れるからにはよほどうまいのかと思いきや、モゴモゴした声に会話に稚拙な野郎が「お兄ちゃんと妹」設定で猿芝居を演じている。

「こんなあったまの悪いヤツなんかに感情移入したかねぇー」

これ、まさか監督本人じゃねえーだろうなぁ。
もしそうだとしたら、こんな声で、この程度のやり取りしかできないのによく主観撮影に臨んだもんだ。
コイツは作品の完成度やユーザーのために主観撮影をしたんじゃないだろう。
こんなのになるなら、ちゃんと客観でやれよ。

これをイイと言える人は、そういうのが全然気にならず佐山愛だけに集中できた人だと思う。
イイ子だよなぁ、彼女。
もったいねぇーな、これ。

ということで次回はこれにします。
いろいろ分析してみたいので。

このシリーズ、最初の吉沢明歩のヤツが神作品だっただけに残念でしかたない。

でもMAXINGはもう買わないな。
自腹でつきあえるレベルじゃないでしょ。

しかし宇佐美さん、リリース多くね? 

  • [2009/10/15 23:57]

みのる監督の作品を見てたんだけど、ちょっとダメだ。
女優がこってり脂っこい。この手の感じのがずっと続いているから気分が乗らない。
更新予定の作品を変更してロリものを先にしよう。

2ちゃんねるの淫語スレに書き込みがあった「だぶろり」の淫語カウントでもするか。
この作品は淫語にバラツキがあったような気もするけどまぁいいだろう。

それやってもまだこってり系の気分にならなかったら、ほしのみゆの作品でもやりますか。宇佐美監督の「手コキ・淫語・女子校生」。
実はまだ手に入れてないんだけど、週末買いに行く予定ではあるから来週には更新できるだろう。

ほしのみゆは「アナタのオナニータイム」が淫語不発だったからどうかと思ってたんだけど、サンプル見る限りでは問題なさそうだよね。

それと、もう一つ同じ宇佐美作品で光月夜也と如月カレンが競演している「プレミアム・ビューティー」ってのも気になる。こっちもサンプルを見る限り淫語を言ってそうなんだよね。

つーか宇佐美忠則は淫語の鉄板監督になってしまったんでしょうか?
昔よりも淫語率が高いよね。
ひょっとして淫語ブームがきてる?

あとはとにかくマニュアルのサイト構築だなぁ。
女優リストのページが手つかずなんだよね。
なーんも思いつかん。

iiyama 21.5インチワイド液晶ディスプレイ 1920×1080(フルHD1080P)対応 3系統入力装備 マーベルブラック PLE2209HDS-B1
それと使っているモニターがチラチラし始めたんで通販でいいかと価格ドットコムで探してたら、最安値のついている商品がAmazonで売っていた。
まさか電化製品がAmazonで最安値なんて。

思わずポチった。

別につきあう義理はないもんね 

  • [2009/10/13 22:11]

んんー、やっぱりさぁ、アレかね。
マニュアルのデータページの画像だけど、パケ写は表1だけにもどうそうかねぇ。
表4まであった方がいいかなぁと思ったんだけど、結局、ネット上でパッケージを見てもそこに書いてある文字なんて、小さすぎてほとんど解読できないことが多いんだよね。 だったらあまり意味がないかなぁと。

それに表4まで入れるようにしてから淫語データのスペースが横に広がりきって、かえって見にくくなったんだよね。やはりデータスペースは表紙の横にあるほうがいいかもと思ったりしている。
レイアウトはDMMみたいなのが一番いいのかなぁ。

ただ背表紙は入れといた方がいいかなぁと思ったりもしている。
店頭に行くと背表紙で見なきゃいけなかったりするからね。
背表紙は大事よね。

ということで今日、決着つけて明日更新します。

明日、更新する「妖艶熟女の快楽淫語責め」だけど、実はあまりよくないんだよね。
つーか、「菊池28号君、やってしまいましたね」って何度も独りごちながら淫語カウントしてましたよ。

有沢実紗さん自体は頭のいい人だなぁと思ったけれど、でもキャリア不足は否めない。
だからこそだけど、そこはちゃんとディレクションしないとね。

この前のシリーズ作の浅倉彩音さんの時も「?!」ってなったんだけど、今回は確信したな。

君は淫語ビデオを甘く見ているよ。

このままいくとこのシリーズは遅かれ早かれ行き詰まっていくんじゃないだろうか。
「最オナ」シリーズと同じ過ちを犯しはじめている。

次また似たような感じだったら、自分はシリーズ買いはしないね。
女優買いでも微妙かも。

今が旬のAV女優ならもっとテンションがあがったんだろうな。 

  • [2009/10/12 22:54]

わが市の図書館は夜の10時までやっているので、夕飯が終わって一息ついたあとによく行ったりする。
んで今日、本を返しに行ったついでに、なんとくなく図書館の検索端末に「森下くるみ」と入れてみたら、「esora vol.5」という文芸雑誌がヒットした。その雑誌に『ダリア』という彼女の小説が入っているらしい。

「ああ、くるくるって小説も書いてたんだっけ」と思って早速手に取ったら出だしは悪くない。量的にはこれ20枚ぐらいだね。
たぶんものの5分で読み終わっちまうだろう。
このブログ書いたらすぐに読む予定。

それで帰りしな雑誌をパラパラめくってたら、「金子リサ」って文字が目に入ってきちゃってさ。どうやら『カマラとアマラの丘』という小説の主人公らしいんだけどね。

「わっ、金子リサだって」とあきらかにテンションをあげてしまったりしてね。
んで、すぐにこういう名前に反応する自分にね。ちょっとあきれていたところなんだよね。

なんでAV女優の名前と同じってだけで食いついてんのかね。
なんちゅー40代だよ。

なんでも簡単にわかっちゃダメなんだな 

  • [2009/10/11 18:04]

ダメだなぁ。うまくいかないなぁ。
自分のやりたいことに技術がともなわないなぁ。

あまりにもうまくプログラムが動いてくれないので、気分転換に昔のDVDを見ていた。
現大塚咲の「美しい痴女の接吻とセックス11」


これ作品としてはシリーズの中でもよく出来ている方だと思うんだけど、こうしてみるとMiCOさんと大塚咲さんは明らかに違うよね。
「何が違うんだろうなぁ」ってずっと考えちゃった。

淫語だけならこの作品は結構言ってくれていて、大塚咲の「責め痴女」とか乱丸作品なんかよりは全然あるんだけど、でもどっちが魅力的な女性かって聞かれると、やはり今の大塚咲なんだよね。

ま、年食って魅力が増したって方がいいだろうから、「MiCO時代より大塚咲時代の方がいい」ってのは彼女としても喜ばしいとは思うんだけれど、それでも一体何が彼女を変えたのかねぇ。
やっぱり内面的なもんなんだろうか?

彼女がAV女優になった理由の一つに、中村淳彦の『名前のない女たち』を読んだからっていうのがあるらしい。今年の夏にブログで書いていた。

大塚咲の~今日も満開☆花咲きブログ~ 名前
http://blog.livedoor.jp/otsukasaki/archives/1370780.html

これが書かれたばかりの頃、中村さんに伝えたら「あの本を読んでAV女優になったという人は初めて聞きました、刺激のあふれたスリリングな世界と思ったのかな」と驚いていた。

『名前のない女たち』という本の魅力は、中村さんの立ち位置が保守的でわかりやすいってことなんだよね。
今日のブログでもこんなことを書いている。

売春の大衆化イコール歴史的な家庭が崩壊しているということ、いったい家庭がなくて子供が育つのか?
http://atu1050.blog45.fc2.com/blog-entry-78.html

これが本橋信宏あたりだと、相手に取り入ってコミュニケーションをとろうとしてしまう。
でもそれだとかえって面白味がない。やっぱりものわかりの悪いヤツがインタビューアにならないと。
関係者はイライラするだろうけど、そこがまた面白いんだな。

それと久しぶりに昔の二村作品を見てたんだけど、やっぱりひどいんよね、カメラワークとか、編集とか。
基本はドキュメントなんだろうなぁ。ビビッド感があって他人のSEXをのぞき見てるって感じはあるから、ついついこれはこれでいいのかぁって思っちゃう。
内容が面白いし。

よくないねぇ。

さて今日はもうプログラムはあきらめて、これから有沢さんの淫語データを抜きにかかりますかね。

七つ前は神の内 

  • [2009/10/09 23:51]

ああもうダメ人間だなぁ。
今はやることがいっぱいあって、次から次へと作業を進めなければいけないのに、何から始めようかと考えているうちに、全然違う別のことをし始めたりする。

さっきも柳田国男全集とか読み出しちゃったよ。
本当はJavaScriptをいじんなきゃいけないのに。
合間にマニュアルのデータ抜きもしたかったのに。
「癒らし。」も見なきゃイケナイのに。

死んだうちの親父は金は残さなかったけど、たくさんの本は遺していった。
司馬遼太郎なんかは、出版されたほとんどの本はそろっていたと思う。
いくつか処分してしまったけど、『街道がゆく』なんかはまだほとんどうちにあるはず。

『柳田國男全集』なんかもきれいな状態のまま遺していってくれた。
じぶんはこれが一番うれしかったかなぁ。

久しぶりに『遠野物語』を読んでいたんだけど、やっぱり面白いね。
たとえば河童の話なんかが出てくるんだけど、河童の子を産んじゃう村の娘の話っていうのが妙にあやしかった。

柳田国男全集〈4〉 (ちくま文庫)
柳田 国男
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4 ロマン溢れる民俗学…

当然、その河童の赤ちゃんはただではすまない。
「生まれし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。その形きわめて醜怪なるものなりき」(『柳田國男全集 4』ちくま文庫 35p)ってなことになる。
でもこれって今なら、「赤ん坊が奇形で生まれてしまいました」って話なんじゃないかと疑っちゃうよね。
それを「河童の子」として処分してしまった。

ほかにもこんなのがある。

上郷村の何某の家にも川童らしき物の子を産みたることあり。確かなる証とてはなけれど、身内真赤にして口大きく、まことにいやな子なりき。忌まわしければ棄てんとてこれを携えて道ちがえに持ち行き、そこに置きて一間ばかりも離れたりしが、ふと思い直し、惜しきものなり、売りて見せ物にせば金になるべきにとて立ち帰りたるに、はや取り隠されて見えざりきという。

『柳田國男全集 4』ちくま文庫 1989.10.31発行 36p

「河童の子だという確証はねえけど、きっとそうに違いない」ってことで棄てにいっちゃうのもすごいけど、棄ててから「見せ物小屋に売っぱらえば金になるじゃないか。惜しいことした」っていうのもすごいよなぁ。
こりゃ「エレファントマン」の世界ですよ。

昔、「美しい国」とか言ってた人がいたけど、日本人は人権とかを欧米の人たちから学んでいったんだよね。お隣の国の人権問題も、ちょっと前の日本人は似たようなもんだったはず。

今より昔の方が倫理的にしっかりしていたなんてことは全然ない。
かと言って自分は昔の人が人道的に野蛮な性格だったとも思っていない。

人間の本質は今も昔もそんなに大きく違うわけがない。
変わったのは社会的な制度だけ。

「命は大切」だ。むやみやたらに生き物を殺していいわけはない。
でも自ら家畜をさばくこともせず、精肉になっているところだけを見て、うまいだのなんだの言って食っているのが現代人。死んでいった動物たちの命をおもんばかって食べている人間なんてどれほどいるのか。
最近では「いただきます」とも言わずに食っているヤツがいるからね。金払っているから当然だって感覚になっているのか。

考えようによってはそれもじゅうぶん生命軽視していると思うけど、それだって社会システムがそうなっているとも言えるんだよね。

ホントはもっと旧作を更新したいんだけどねぇ 

  • [2009/10/07 23:14]

ちょっとさぁ、ファイルいじっていて思ったんだけどさぁ。
ここのところマニュアルは、「アウダースかAVSかドグマ、ときどき他の作品」ってローテーションになってないか?
実際、次回もAVSにしようと思っていたし、その次はドグマのにしようと思っていた。

決して他のメーカーが淫語モノを出してないわけじゃない。
ただAVSとドグマが淫語成分を増やしていってるんだよね。
みのる監督とか、昔そんなに淫語にこだわってなかったはずだけどなぁ。
なんで急に目覚めたんだろう?

まあ、あと単純に自分自身が他メーカーの作品を見てないってこともあるのか。
基本、自腹だからね。そうそう冒険もできない。

次回は、前にボヤキにコメントをもらったんで有沢実紗さんのにしようかと。

んでその次はビーバップ・みのる監督のブログにコメ残したら反応してくれたんで、最近やり出した淫語シリーズ作品にしようと思っている。

あっ、そういや、旗監督から僕にだけ優しい千里ママについてメールをもらったんだった。
んー、友田真希ちゃんのも更新すっかなぁ。

と、こうやって更新するものが偏っていくんだなぁ、きっと。

四十五十は洟垂れ小僧 

  • [2009/10/06 22:52]

えっーと次回のは「北島玲さん淫語中出しソープ」で、もうできているんだけど、他のページをイジイジしていたら更新できなくなってしまった。トップのページとかとも関連しているもんだから、このままアップすると大変なことになるんだわ。
とりあえず、なんとかなったので明日は更新する予定。

思ったんだけど、学習するっていうのはさぁ、あえて効率の悪いことをしてみるってことなんだね。

当初の目論見では、ファイルのPHP5化とデータベースは一緒にやってしまおうと思ったんだけど、どうもそれをやると今の自分の力じゃ収集がつかなくなるようだ。
だったらPHP化をさきにやって、あとからデータベースを作って関連づければいいかって結論になった。

これだと二度手間、三度手間になるのは必至で、300以上もある作品データを何度も書き直さなきゃならなくなるわけなんだけど、学習するってことは一つひとつ積み上げていく作業なわけで、手間を省く行為ではないんだよね。

年を食ってくるとどうも横着になって、ショートカットばかりしたがるんだけど、効率を追求するのは自分の技術がある程度習得できてからの話なわけですよ。
でもついつい近道をしたがるんだよなぁ。

学習することそのものを楽しまないとね。

WEB製作を始めたばかりの頃はそうだったはず。
中途半端にWEBがわかるようになって、どこか効率を考えるようになりだした。

つーことでしばらくシコシコPHP化にいそしみます。

エロスシリーズは終了なのかね 

  • [2009/10/03 14:59]

最近のKINGDOMはどうだか知らないけれど、自分がAVを見始めた頃のこの人はパラレルな世界をよく撮っている人だった。

自分がKINGDOM作品を最初に見たのは「痴汁の世界」という痴女モノで、確か新古品で買ったんじゃないかと思う。結構、売れ残っていて定価よりもかなり安く買った記憶がある。
導入部が幻想的で、杏野るりと杉森風緒がそこそこ淫語あおりしていた。安く手に入れて得した気分になった。

そのうちレンタル店でこの人の作品を見るようになる。Waapの社員監督だとわかったのはそのときで、Waap作品は皇獅婁とKINGDOMばかり見ていた。
当時は痴女モノっていうと自分の中では断然Waapで、AVにおける痴女ジャンルはWaapが作ったのかとすら思っていた。

それで、そのKINGDOMだけど、なぜか2ちゃんねるでアンチが目立っていた。
なぜ彼が叩かれるのか今ひとつわからなかったが、思い当たるフシもないわけではない。

たとえば前回、更新した「淫語トランス」を例にとると、【M男淫語殺し】は拘束された田淵が途中から目隠しされる。
目隠しプレイ自体も2ちゃんねるあたりでは評判が悪いわけだが、それは性的嗜好の問題が大きいから、プレイそのものはいいとしよう。田淵も相変わらず「ふんがー」とかうるさいがこれもM男の人は好きかもしれないんでよしとする。

自分の「思い当たるフシ」はプレイ内容そのものではない。企画内容は監督というよりメーカー側の問題でもある。
自分が気になるのはカメラの視点だ。

拘束された男を女優がいじる場合、ユーザーはどちらに感情移入するのだろうか?

性感Xテクニック
たとえば「性感Xテクニック」なら、自分は基本的に南智子に感情移入する。

そして「ほらぁどこが気持ちイイの? どこぉどこぉ」「ちんちんが好きなの?」と言葉責めする南智子に寄り添いつつ、男優が苦悶の顔を浮かべ、ようやく「…チンチン」と口にするのを見て、次第に男優と同化していくだろう。南から男優へ意識の流れはスムーズだ。

実際の作品では、この時(「性感Xテクニック じらさないで、やめないで」)のショットは客観で加藤鷹を中心にして光が当たっている。
廻りにいる桜ひろみと五十嵐みゆきは影になってよく見えない。そして南智子の言葉だけが確かな意志を持って場を制している。

これなら自分は興奮する。きわめて自然な意識の流れだ。
もちろんこれは代々木忠が観察者に徹しているからこそ、このショットの流れになるのだろう。

ところがKINGDOMはこれを男優側の主観要素でやってしまう。
しかも田淵は目隠しされているわけで、目隠しされている側の主観とはいったい何ぞやってことになる。
見えてないのに見えているのか?

そもそも目隠しプレイは、体験者の視覚を取り去って、体感や音への反応を研ぎ澄ませることに意味がある。次の展開が予想できないのでますます皮膚感覚は敏感になる。

それをそのまま撮れば、演劇理論でよく振りかざされる「ミラーニューロンがどうだらこうだら」って話にもなるだろう。
だがこれが主観バーチャル映像となると平仄が合わなくなってくる。

目隠しされている男を撮らないで、女優の顔を撮ってどういうところを見せたいのか。
「『拘束目隠しをしている男を責めている』ってことで興奮している女」の様子?

なんとも複雑な視点じゃなかろうか。

この人は、ときどきこうやって視点がぶっとぶことがある。
幻想世界を描くときは、必ず狂言回しのような視点を置いておかないと読者はついてこれない。それはレイ・ブラッドベリだろうが夢野久作だろうが一緒である。
それをしないと、異質で閉じられがちな世界をユーザーにうまく開いて見せることができないのだ。

こんなのは物語を作るときのイロハで、それは映像の世界でも変わりはしないだろう。
むしろ演劇は観客の意識を計算して場や立ち位置を考え、顔の向きや台詞を練り、映像ならカメラわりを考えていくのではないか。

そういう視点がKINGDOMは無造作なのだ。
技術がないということではなくて、単純に自分の映像にユーザーの意識の流れを織り込まずに作っているのである。だから見ていてわからなくなるときがある。

この人だけじゃなく、Waap出身の監督は全体的にそういうところがある。
視点に流れがないのだ。

まぁ皇獅婁からしてひどかったからなぁ。
夢野まりあの「痴女優」なんか酔っぱらってんじゃねぇーのっていう画で、これで金を取るのかよって思った。KINGDOMも皇獅婁レーベルあたりから撮ってたみたいだし、その影響かね。

これ、あくまで昔の話ね。
今のKINGDOMは見てないからどうだかは知らない。

個人経営の古本屋にはお宝が埋まっている 

  • [2009/10/01 00:24]

次回は黒崎扇菜の作品にしようと思って、今さらながらVHSを引っ張り出した。
ビデオデッキのコンセントを差し込んだのはいつ以来だろう。動くか心配したけどまだまだちゃんと動いてくれた。

あらためて見たら、黒崎扇菜のパフォーマンスはすばらしい。
声もイイし、表情もイイし、何より息もつかせぬ言葉の畳みかけがすばらしい。

ふだん淫語に興味のない人でも、この人の声と話し方に「エロい」と思わせるものがあるんだろう。だから引退するまで淫語タイトルの作品が何作か作られてきた。

でも実際はどの作品も大して淫語があるわけじゃない。明日、アップする作品が一番多い。
だから彼女の淫語を量的に楽しむのはこれしかないんだけど、作品的には微妙な演出もあって、かなり残念。男優は言葉責めがなってないし、撮っている監督も、いつもの悪いクセが出まくっている。

まぁでも、淫語が好きな人はそれなりに満足するパフォーマンスなんで買っても損はしないだろう。

それで更新データを作るときにDMMで該当作品を見てみたら、VHS版だと90分作品なのに105分になっていた。
どうやらDVD特典が15分ほどあるらしい。
気になったのでDMMでダウンロード購入してしまった。

中身を確認したところ、特典はビル屋外での撮影とメイキングの2つ。
メイキングのインタビューでは、黒崎扇菜が「よく菊池桃子の声に似ているって言われる」なんてニコニコしながら話していた。
素のしゃべり方もいいねぇ、このコは。

こういうのを見ちゃうと、特典映像のあるDVDがほしくなっちゃうなぁ。
それにストリーム再生ですら、VHSテープよりキレイに見えるんだもん。

頑張って、手に入れますかねぇ。

実はつい最近も「淫語しまっせ」のDVD版をゲットした。
しかも500円。
VHS版しか持ってなかったので見つけたときはうれしかった。
個人経営の古本屋でね。DVDの山になっているところの下の方に埋もれてましたよ。

こういうのってネットでも格安で手にはいることもあるんだけど、やはり足で稼ぐって大事だねぇ。
ネットって情報量が多いように感じるけど、実際はそうでもない。

特に自分のようなマニアックな情報をほしがる人間には、ネットの情報はあまりにもおぼろげで食い足りなかったりする。

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