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恋愛できないカラダ 

「この完全版が見たいなあ…」

これが「恋愛できないカラダ」を見終わったときの率直な感想。

恋愛できないカラダ
正直、フラストレーションがたまったのである。
内容はスゴく面白かった。
やはり映像だからこそ、伝わるコトもある。
「春うららって、こんなにカワイかったっけ?」とも思ったし。
中村淳彦がどんな声で、どんな風なしゃべり方をしてインタビューをしていたのかとか、どうしても文章からこぼれ落ちてしまう言葉にならない部分、聞き手と話し手のリアクションや空気を感じることができて、それだけでも自分は満足していたのだ。

…途中までね。

だが、気に入らないのである。
なぜ、ここで切るのだろう? なぜここから入るのだろう? そんなことばかり考えはじめてしまうのである。

最初は、ゴールドマンの淫語プレイで違和感を感じた。
淫語好きじゃない監督がよくやってしまう、淫語マニアからすれば「わかってねぇーな、コイツ!」っていう感じの編集だ。

たとえばゴールドマンがいつものように言葉責めをしている。
ちょっと言葉の端々に優しいところが見え隠れするゴールドマンだ。春うららを、ゴールドマンは気に入ってしまったのかもしれない。
こういう感じのゴールドマンは好きである。だから、期待してしまった。

でもだ。
淫語作品の基本である「間」の悪い切り方になっているのである。
余韻が楽しめない。反応が薄く感じる。
せっかくゴールドマンが「肛門が30インチのテレビに大写しになっている」と羞恥責めをしているのに、その余韻を残すこともなく、そのセリフで切って、次のシーンにさっさと進んでしまった。そういうのが結構ある。
春うららがそのゴールドマンの言葉にどんな間を開けたのか、確認できないまま話が進むのである。

そんな感じでは「淫語プレイ」や「おしゃべりエッチ」の醍醐味が半減するではないか。
淫語AVマニュアルやこのブログでも、何度も指摘してきたことだけど、セリフきっかけでカットインするのは、結局のところ、エロさが画偏重で、音声でのエロさは無頓着ということである。

残念で仕方がない。
ゴールドマンの良さが今ひとつ伝わってこない。
まぁ、淫語期待で見るのはやめよう。
その時点では、そう思った。

ところがゴールドマン以上に残念に感じたのが、太賀麻郎でのカラミ。

せっかく、良い感じで太賀麻郎が愛の言葉を囁いている。
見ているこっちがうっとりするような口説き方をしている。
それなのに、言葉での緊張感がブッツリと切れてしまうような感じになっている。
だから、自分はだんだんフラストレーションがたまってきて、最後は気持ち悪くてしょうがなかったのである。

「なんで言葉きっかけなんだよ!」

竿持つ手も萎えるのである。
だから、ここの太賀麻郎のカラミ。ノーカットに近い感じのものが見たくてしょうがないのである。
ここのシーンはものすごくエロい。
でもその雰囲気が十全に伝わっているとは思えない。
エロだって「間」のイヤらしさがあるんだ。
少なくても淫語モノではそこが生命線なんだ。

セリフというのは漢字で「科白」とも書く。
芝居をやっている人たちは、慣例で「台詞」と書く人が主流みたいだが、「科白」と書いた場合、「科」は「演技者のしぐさ」を、「白」とは「話し言葉」を意味している。
すなわちセリフとは、もともと「言葉」と「仕草」がともなって成立するモノなのである。
言葉として、意味さえ通じればいいというものではない。 だから、淫語ビデオは特に「台詞」きっかけではなくて、「科白」きっかけで始まってほしいのだ。

誰かが「A」と言う。
でもそれは単に「A」と言っているわけでじゃない。「A」という前の何らかの緊張関係があるはずだ。そしてそれが、表情や手の振りなどの仕草に現れるはずだろう。

「A」と言われた側は、「B」と答えた。
そこにも、ハッキリと感情に現れないかもしれないが、微妙な空気が流れる。
しかも、その言葉を言い終わったあとも、「B」と返した人間は、その「言葉の行方」を追って、新たな意識の流れが生じているはずだ。

そういうのが、ことごとく削ぎ落とされているのだ。
太賀とうららのやりとりの美味しいところが、自分には無慚にも切り捨てられてしまったように見える。
なんて、もったいない。
カリスマがあんなにスゴい「無言の言葉」を発し続けているではないか。あの声ならぬ声が聞こえないのだろうか?

むしろ、最後の中村とうららのエッチの方が安心して見ていられた。
会話の少ないエッチだから、この撮り方でよく見ることができたのだろう。
だから、これは個人的な好みの問題なのかもしれない。

それに、この作品の「売り」はそういうところにはないのかもしれない。中村が気づいていないと言うことはそういうことなんだろう。
実際、本の『名前のない女たち』シリーズの文脈からすれば、とてもよくできた作品だ。
編集も、自分としてはカラミ以外、見やすかった。

そう見やすかったのだ。だから、ますます傷に思えてしまう。

こんなシーンがある。

「なんかもう、そんなハメると誰とハメてもあまり変わらないみたいなの、あるんですかね。ハメたりするとたまにドキドキすることがあるんじゃないすっか」
「ある」
「あるの?! …3千本もハメていて?」
「うん」
「どういうときですか?」
「…引かない?」
「えっ!」

このあと春うららが、結局のところ中村がドン引きすることになる「ドキドキするSEX」について応えるのだが、このへんの流れなどは、とてもよかったし、よくできていた。
『名前のない女たち』シリーズのファンは、それなりに支持するんじゃないだろうか。
2500円で買ったんだけど、この間、買ったCDと同じ値段だ。
コストパフォーマンスも悪くない。

だからこそ、自分の中では評価が揺れている。
『名前のない女たち』を読んできた流れで見ると満足している。
でも、言葉エッチ好きで、そういうAVを求めてきた人間からすると中途半端。

だから、思うのだ。
もうちょっと長めの太賀麻郎のカラミの完全版が見たい。

特典映像のゴールドマンと春うららのセッションは面白かった。
一番繰り替えし見るのはあそこかもしれないなぁ。

それにしてもやせたなぁ、ゴールドマン。
太賀麻郎より、かっこいいんじゃないか。

一応、お約束で書くが「おちんちん」も「チンポ」もある。ゴールドマンだから当然か。
太賀麻郎はオチンチン好きかねぇ。
ちなみに、太賀のカラミを見たの、アズキヨの出演作以来w
20年弱ぶりww

コメント

もうそっから先絵ががないとしたらどうする?

中野さん、はじめまして。
まさか本人からコメントをいただけるとは思いませんでした。

>もうそっから先絵ががないとしたらどうする?

これはつまり素材自体がそうなっていたってことですか?
ハンディで撮っているわけだから、撮っている側がそんな撮り方をしていた?

そうなると中野さんのせいではないということになりますね。
なるほど、それは失礼しました。
中野さんのせいにして申し訳ございませんでした。書き直してきます。

すげぇ

中野TKO氏から直接コメが入ってる!(ミーハー
それだけ注目されているってことですなぁ。

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