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うまく言おうとしてはダメなんだな。 

こどもの頃、家から自転車で20分ぐらいのところに木工所があって、そこのじいさんは冬になると日曜日に木ゴマを作って売っていた。

値段はコマの大小によって様々だったが、高くてもせいぜい500円ぐらい。
当時のこどもでも十分買える金額。
しかもそのじいさんは、溝の彫り込みなんかをこどもたちの注文通りに彫ってくれた。
こどもだから突拍子のないことを言い出すヤツもいるんだけど、そのじいさんはぶっきらぼうに早口でいろいろ確認したあと、次々とこどもたちの要望に沿ったコマを作っていった。

機械で削っていくわけだが、コマが自分の言った通りに出来ていく様は、ただ眺めているだけでわくわくしたものだった。
なにより、香ばしいすれた木クズのニオイが好きで、買ってしまって用はないのに、自分はいつまでもじいさんの仕事場に入り浸った。

じいさんは、ニコリともしない無愛想な人だったけど、見ず知らずのこどもを自分の仕事場に入れるぐらいなんだから、かなりのこども好きだったんだろう。
腕は確かで、そこで作ったコマは市販のコマより良く廻ったし、頑丈で、喧嘩ゴマしてもなかなか倒れなかった。

70年代、そういう個人経営の木工所はあちこちにあった。
そしてそこには、その確かな腕で客の細かいこだわりにも対応し、製品に命を吹き込んでいくような職人がいたんじゃないだろうか。

そこで渡辺琢斗である。

AVSのBBSを覗くと、ただでさえ何かとうるさいAVユーザーの要望に対し、真摯に受け答えをし、できないときはなぜできないか、大人の事情まで披瀝してしまう渡辺琢斗監督。
その作風は地味で、はっきりいって作りもモチーフもほぼ同じ。
丹念に何度もなぞり微調整をくわえながら、フェティッシュなエロスを描き続ける。
監督の日記にもよくでてくる、カメラや撮影機材に対する執心ぶりも、いかにも道具を手のように扱う職人っぽくて、この人の作品にコアな固定ファンがつくのは至極当然のように思える。

その監督に、メールを出したの去年の7月。
淫語作品を追いかけていく中で、渡辺琢斗の作品は何度か見ていたが、AVS専属になってからはあまり淫語にこだわる作品はないようだった。
そういうこともあって、監督に淫語作品を作る気はないのかとメールしたのだ。

そんなに返事を期待していたわけでもない。
だから正直、返信メールがきたときは驚いた。
そこには「私も淫語は大好きです」と書いてあった。
「淫語にこだわった作品も考えていきたい」ともあった。
社交辞令なのかもしれない。
でもそれだけで十分だった。

そして安藤なつ妃の「淫語中出しソープ1」
自分のメールをちゃんと覚えていてくれたんだと思った。
監督に「淫語! 淫語!!」と騒いでいるのは自分ぐらいだろうから、1ユーザーのわがままを聞き入れてくれたってことになる。
とても嬉しかった。

ということで、肝心の中味だが。

まず淫語というのは、当然だが「言葉」だ。

言葉であるからには、自分の中にある裡なる思いをすくい上げるために使うか、それとも、自分以外の誰か他人に、自分の考えや気持ちを伝えるために使うかということだろう。
つまり「生きた言葉」というのは、その言葉のベクトルが自分自身に向かっているか、それとも他人(それは大いなる存在でもいい)に向かっているかの2方向しかないってことになる。

そこで一番まずいのは、「話し言葉」であるセリフを「音読」してしまうことである。
ただセリフを言っているのでは「読んでいる」のと変わらない。
読んでいる言葉というのは、これはこれで余程の技術がないと、浮いた状態になってしまうのだ。

それはまさに言葉の死産だ。
どんなにユニークな言葉であっても、どこにも伝わることがなく、宙にとけて消えていく。

演技者にとって必要なことは、できるかぎり自分の言いやすい間で、しかも声の出しやすいトーンで、その言葉を言えるかどうかである。
別に感情をこめる必要はない。

素人芝居はこれをやってしまう。
役になりきることと、意識的に感情をこめることとは違う。
むしろ、ヘンに感情をこめた言い方は、おかしく聞こえることが多い。
たとえば悲しい言葉を話すとき、いかにも悲しそうに言おうとすると、意識がそこに向かってしまい、結果として自分にも他人にも向けられない言葉が誕生してしまうことがある。
もう一度いう。言葉も死産するのだ。

結局、こういうのはそれなりのキャリアが必要なのだ。

「自分にとってなにが一番、自然な言い方なのか」ということは、ある程度キャリアを積まないとわからないものではないかと思う。
自分がどういうときに、どういう間でしゃべっているか、さらに何かのリアクションとして、どういうトーンや速度で話してしまうか。
フェラ時でのトーンと本番時でのトーンとでは自ずと違ってくるかもしれない。
その違いを最初から皮膚感覚でわかっている人は稀だ。
ましてや普段から淫語を言い慣れていないとなると、1人語り形式の主観の場合、かなり難しいかもしれない。

今回の作品は、そういう意味で明らかにキャリア不足だと思った。
安藤なつ妃さんも渡辺監督も頑張っていたとは思うが、やはり安定した言い方はできていなかった。
だがその一方、それでも彼女はキャリアさえ積めば、淫語女優として開花するだろうと思った。

あまり淫語を言い慣れていないのに、2回に1回、いや3回に1回でもうまく言えていたんだとしたら、その女優は淫語女優としての素質が十分ってことになるだろう。
しかも彼女は、終盤にさしかかり、徐々にうまくなっていった。これは期待させるものがある。

いずれにしろ、ここまでやってくれれば、淫語マニアとして文句を言うヤツはいないだろう。
チンチン系を聞きたいヤツ以外は、だけど。
渡辺監督は十分、こちらの要望に応えてくれた。
監督は監督なりにもっと煮詰めていく気だったみたいだけど、そういうことも含めてあらためて思うのだ。

渡辺琢斗は職人だ。

渡辺琢斗に比べれば、実録出版の「彼」なんて、まだまだヒヨコだろう。
「職人」の称号を与えるには、役者不足だよ。

少なくても自分はそう思うな。

ということで。

渡辺監督、ありがとう。
次も期待しています。

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