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コメが長くなりすぎたので、トラバしました。 

>藩金蓮さん

2007-07-15 愛の言霊

紹介していただいて、ありがとうございます。
私ね、言葉に関して盲点になっていることに「文字コトバ」と「音声コトバ」の混同があると思うんですよ。
AV業界ってね、AVのパケ表示なんかが顕著なんですけど、あまりにもそのことについて無関心すぎるんですね。

前回のタイトルになっている司馬遼太郎の『東と西』ですけど、その中に大岡信との対談があります。そこで大岡さんはとても面白いことを言っておりまして、「音で聴く文化」っていうのがあって、歌人なんかはそうだというんですね。

そうすると歌人というのは言葉を扱うんだけれども、それは声を発して、そこにいる一座の人を酔わせるということでもあった。一流の歌人というのは、一種の役者だったんじゃないか。そこへ管弦などが入ってくれば、たちまちにして芸能の世界に入っちゃう。

お釈迦さんも美声だったっていいますよね。三十二相の中で唯一、仏像で表現できないのはその「梵音声」だとも仏典に書かれていたりします。だから経巻を埋めたりするんでしたよね。
絶世の美女と言われるクレオパトラも実は顔自体は絶世と言うほどではなくて、ただ話し方がものすごく魅力的だったとか。

声って、大事ですよね。文字ももちろん大事ですけど、文字以上に声の方が情緒を揺さぶりますでしょう。だけど、「文字」と「音声」って必ずしも一致しませんよね。むしろ、文字化されると読みやすいように改変されたりします。

私はそこが不満なんですよね。AVにおいては、それがものすごく無造作に見える。出来る限り、近づけるべきでしょう? なのにやらない。おちんちんとしか言ってないのに、平気で「チ○ポ」なんて書いてくる。こいつらの言語感覚はどうなってんだって思ってしまうのですよ。
これはAVレビューアにも言えることでね。AV雑誌にも何回かだまされてきましたよ。私たちのような性癖の人間はそれでかなりお金をどぶに捨ててきたんですね。

でも、昔はそれでも出されていたものを、黙って喰ってたんだな。
エロ系はだまされてナンボって感じで育ちましたからね。
エロ雑誌の自販機とかね。中学生の頃とか、夜中にウチを抜け出して、ドキドキしながら買いに行って、手に取れないからウインドウ越しに表紙を眺め、人がときどき通ったりするから、脱兎のごとくその場から立ち去って、そしてしばらくしてまた戻ってきて、結局、一時間近く品定めして、やっと手に入れてね。それをお腹とズボンの間に挟んでシャツで上から隠して、家までダッシュ。

んで、結局、タイトルや写真にだまされちゃってる。表紙でご開帳していたカワイらしいお姉様は、いっこうに出てこなくて、厚化粧のオバさんがね、なんかやっているわけですよ。
パケ写詐欺とかいいますけどね。あんなものは昔からあったわけです。

だから、私ぐらいはやろうと思ったんです。
私は極端な話、作品全体の良し悪しなんかよりもね。淫語の種類や言い方を検証したりすることの方が大事なんですよ。1本3000円もするんですからね。学生さんならキツいでしょう。まさに身銭を切る思いですよ。
だから人柱になるつもりではじめたのです。誰もやらないから。

実際、声は難しいんですよね。サンプル見てもわからなかったりするんですよ。
しかもその肝心のサンプルにね。うるさい感じのBGMをかけてくれたりするところもあって、全然、聞き取れなかったりする。
もうここまできたら、戦いですね。

だけどね、限界があるんですよね。時間的にも経済的にも。
だからあくまでやれる範囲です。それ以外は、わかっていただけそうな制作の方にメールしたりするぐらい。これが素人の限界でしょうね。モチベーションが下がるとね、もうAVを見るのはやめようかなって思うんですね。良い作品はいくつかありますから、見たくなったらそれをローテーションで回していけばいいかなぁって。
特にいろいろ忙しくなると思うんですね。こっちも遊んでいるわけではないですからね。

このブログをやってなかったら、とっくに閉店してましたね、本サイトの方は。
だから藩金蓮さんにこのブログを評価してもらえたことはとても嬉しいのです。最近は、本サイトよりもこっちのリピーターになってくれる方が増えてきました。つまり等身大の私を受け入れてくれたわけですからね。別立てにしておいてよかったです。

ところで「音で聴く文化」の話ですけどね。
大岡信さんは、この対談の中では室町時代から出来てきたって言ってますけど、私はちょっと違うんじゃないかと思いますね。宗教がそうでしょう。あれは太鼓やら、読経やら、神仏との交流にはいろいろ音を使いますよね。

隼人族って言うのは、魔除けのために遠吠えをする習慣があったそうなんです。大和朝廷との争いの中で、ヤマトの兵士はその不気味な音には肝を冷やしたらしいですね。
日本書紀に「火酢芹命の後裔のもろもろの隼人たちは、今に至るまで天皇の宮の垣のそばを離れないで、吠える犬の役をしてお仕えしているのである」(『全現代語訳 日本書紀上』講談社学術文庫82p)ってあって、どうやら征服されたときに、畿内に連れていかれて、奴隷にされたようなんです。
私は、これが「犬神人」の起こりなんじゃないかなぁと思っているんですよ。

クマと呼ばれたりハヤブサと呼ばれたり、最後はイヌと呼ばれていたわけなんですね。
でもこの人たちが、「俳優(わざおぎ)の民」として生きることを誓うと神代紀には出ていて、ここから、河原者が生まれ、世阿弥などを生んでいったのかもしれない。

日本における芸能というのは、もともと音を大事にするもんなんじゃないですかね。特にその声に神聖と畏怖をもったんじゃないでしょうか。
それが霊がやどるということでしょう。

だから私はね。文字コトバに引っ張られすぎの今のAVの人たちに、なんとか音声コトバにも注目してくれないかなぁってね、ネットの片隅で遠吠えしているわけなんですよ。
いんごぉーーーー!!!ってね。

コメント

言霊

 いろいろ考えさせられました。
 ありがとうございます。
 
 まあ私はバスガイドという仕事で、日替わり多数の人達の前で喋っているんですけど、そこで話を聞いて貰えるには、酔わせないといけないんですね。そして、ある時に、酔わせる手段として「美しい言葉」や言い回しの重要性に気付いたんです。きっかけは、伊吹山という滋賀県の山やったんですけど、三成や信長、ヤマトタケルに纏わる山で、この山の山頂に雪が積もった様がとても綺麗で、普段は「伊吹山の山頂に雪が積もっているのがご覧頂きます」とそのまんま言うんですが、ある時に何となく「伊吹山が雪の衣を纏っております」と表現したんですね。(伊吹山という山は元々女性の神様なので)その言い回しを、その時の運転手さんに大変誉めてもらって、それが一つの「言葉」を発することについて考えるきっかけになったんです。

 そして、2年ほど前からこうして文章を書くようになって、最初は何も考えて無かったのですが、途中で、「バスガイドで喋る時も、人に読まれる文章を書く時も根本は同じだ」と思ったのですね。何と言うか、酔わせたいと言うか。自分が酔うんじゃなくって、人を酔わす。(自分が酔ってることも勿論ありますが)

 しかし、喋る時と書く時とは動機は同じでも、使う言葉は全く違うんですよ。例えば私は古文調の言い回しを書く時には使いますが、喋る時には出来ないですし。
 それは普段は意識していなかったんですけれども、淫語魔さんの書かれた物を読んで「違い」というものをはっきりと認識しました。

 「音で聞く文化」で、声明をまず連想しました。あれが様々な伝統芸能の祖になっているわけですよね。私は南智子さんの「言葉攻め」を聞くと、いつも声明を思い出します。別の方で、「お経のようだ」と思ったという人もいらっしゃいました。

 AVだけでは無く、普通のドラマや映画でも文字コトバに引っ張られてますよね。だから凄く違和感があるんです、日本の映画やドラマに。外国映画を字幕で見る時には感じない違和感が、必ずあります。

 一本三千円って、キツいですよー。めちゃめちゃキツイ。
 AVを観なくても人は生きていけるけれども、それでも観ずにはいられない切実さが、自分の中にあるということを、忘れちゃいけないなと私は思ってます。たかが、オナニーのオカズなんですけれども、切実に必要としているわけですから。

南無観世音菩薩

南智子さんの記事は、以前、感銘深く読んでました。
まさにその通りかもしれないなぁって。

そう言えば観音様って、衆生の音声を観じて出てこられる菩薩なんですよね。声は聴くものではないんですね。観じるものなんですね。だから相手に合わせた慈悲の姿でお出ましになる。

先ほど、朝からまた悲報に接しましてね。なんとなく観音品を開いてみました。困っている人間を得度させるため、相手に合わせて仏の姿にもなれば、子どもの姿にもなる。長者にもなれば、婆羅門の婦女にもなる。はては人非人にもなって相手の受け入れやすい姿で法を説く。

極めて社会性のある菩薩ですよ。相手の話をよく聞き、観想して、相手が一番受け入れやすい姿・言動で信頼と安心を勝ち取りながら話をしていくわけでしょう。
バスガイドさんなんてその卵みたいなものかもしれませんね。毎回、いろんな、背景の違う人たちと老若男女、接していくのですから。

それが自然体としてできるようになるなら、ものすごく幸せなことでしょうね。
観音様って言うのは1つの幸せの形なんだろうな。多くの人と自由闊達にお付き合いをし、相手に合わせているようで、自分を見失ってはいない。理想的な人との距離感、つながり方ですよね。

ここに反応w

>それをお腹とズボンの間に挟んでシャツで上から隠して

いやぁやりましたやりました!
家に入る時は背中の方に回したりしましてね。
部屋まで直立不動のようにピンと立って移動して(笑)

当たり外れもエロ本の醍醐味として妥協してましたよw

そして読んだ本、何度か使用して捨ててたんですが、
「ぷちとまと」だかってロリ本、よく買ってたんです。
こっちも若いもんだから、対象も若いとドキドキして。

コンビニで売ってるくせに無修正という、今では絶対考えられないエロ・・いや芸術本。
買ったものを散々捨てた後、1冊数万円で売られてるのに気がつきました。びっくり。
(現在はその取引すらやばいです)


ちなみにエロ本の件は全て母にばれてました。くっそ~!w

いろいろ

ありがとうございます。

仏像めぐりの旅に出たくなりました。

>一発さん

あの頃、あの自動販売機自体の性能(?)も今ひとつ信頼に欠けるところがありました。買ったつもりの本と全然、違うものが出てきたり、あと1000円札が飲み込まれたまま故障して泣く泣く帰ってきたこともありました。
そうやって少年は、だんだん男になっていくのですね。(遠い目…)

話は変わりますが、私は「変態」も「変質者」も基本的には違いがないと思いますよ。女の人たちとかは分けたがりますけど、私もスイッチが入ったら痴漢をしてしまうかもしれません。私には反社会的なスイッチがたまたまないだけで、言い方を変えれば社会の許される範囲で変態行為ができてるだけにすぎない。でもそれって本人の心がけというより、運次第のような感じがしますね。

欲情スイッチってそういうもんでしょ。男って、そんな風にできているんじゃないですかね。だからいろいろスイッチがあった方が逆に干渉しあって抑止になるのかもしれません。単純で、しょぼいスイッチしかないと手鏡の人みたいになってしまうのでは?
性的犯罪者って直接的でかなり限定的な性的興奮に執着してしまっている。ある意味、性に関して視野が狭いのかもしれませんね。逆に「変態的性教育」とか、「正しい変態の育て方」みたいな学習する場所を社会装置として作った方が、性犯罪の抑止になるかもしれない。

だから、一発さんは大丈夫です。どんなに変態行為をやっていても、ちゃんと人の形をしています。いい奥さんだっているじゃないですか。結構、理想的な夫婦だと思うなぁ。

>藩金蓮さん

えーと、何をいろいろありがとうなのかはわかりませんけど、私の方こそありがとうございます。
私の抽斗をこんなふうにあけてくださったのは、藩金蓮さんがはじめてです。たぶん、あなただからできたんだと思います。

人は、1人では自分が何ものなのかも証明できません。だから新しい人との出会いは大切にしたいですね。このブログのポテンシャルも再認識させてもらいました。
こちらこそ感謝しております。これからもいっぱいコメントしてください。

私も、もっともっと勉強しておかないとね。
そしてできれば旅に出て、それを確認して廻りたいですね。

スイッチが入った入らないが自分でわかって切り替えられるならいいんですけどね。
私の場合いつスイッチが入った状態なのか、私もわからないし他人もわからない。
淫語魔さんも「いつもエロエロの一発さんが」的ないい回ししていましたけど、確かにそうで、いつも常にスイッチが入ってる状態。

下手したら、スイッチが入っている時が普通でまともなのかもしれないというくらいでして(笑)

大体、手鏡自体中学生の時やりましたもん・・終わってる(汗)
現在の奥さんは、遊びにきた時に犯してそのままなし崩し的に・・です(滝汗)
ド変態に成長してしまいましたけど。

言える範囲はこのぐらいまでで、私は想像を超える鬼畜ですよ(^^;

鬼畜っていうのは

仏法用語でして、人の恩義を知らないヤツのことを言うのですよ。
一発さんはどちらかというと義理堅い人ではないですか。
私が友人を亡くしてヘコんだときも、一発さんの温情はとても嬉しかったですよ。
そういう人は鬼畜とはいわんのです。
よしんば一発さんが、鬼畜という言葉を人の倫理観、特に性道徳にもとるという意味でお使いになっているのなら、それもまた違うと思いますね。

人間の性道徳の観念は時代とともに遷っていったのです。
『今昔物語』とか、『とはずがたり』などを読むと昔の日本人は、実に性に対して大らかです。

戦国時代に日本にやってきたルイス・フロイスが日本女性に対して「ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と尊さは貞操であり、またその純潔がおかされない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても名誉も失わなければ、結婚もできる」と述べていたりします。

夜這いという習慣は全国各地にありましたし、女捕り・辻捕りと言って、往来で女性を犯すようなことは日常茶飯事でした。だからといって女性の人権がどうだとかとは関係なくて、むしろ女性の方から誘うケースもありました。

日本の長い歴史から考えると、現代の倫理観の方がむしろ異質で、ここ最近、人工的に作られていったものなのです。

もちろん、だからと言って、性犯罪を犯していいと言っているわけではありません。私が言いたいのはそういう倫理観というのは、決して自然の摂理に沿ったものではなく、かなり人工的に矯めて歪められたものだということです。
だから一発さんが鬼畜だとは私は思わないのです。
一発さんはちゃんとした人の形をしているじゃないですか。
しかも性犯罪者として捕まっているわけでもない。つまり、私の言ったとおり、これは運次第の話なんじゃないですかね。

奥さんのことも、そういう結婚の仕方をしている知人を何人か知っています。でも、今、奥様は幸せなんでしょう。それなら、なにが不足あるんですか。

前にも一度言ったと思いますけど、昨年、私はあなたに出会えたことが一番の収穫でした。
人間ってやっぱりいいなぁて、ホント思いましたよ。
一発さんが重症の人格障害を負っているのならまた考えますけど、今まで話している限りそうは見えない。

雅さんがマンビラ写真を公開していたときも、真っ先に指摘してたじゃないですか。そういう常識人が「鬼畜」だなんて思えませんねぇ。

日本の性の歴史ってものすごい奥深いんですよ。
私、一度ね、一発さんに読んでもらって、感想を聞きたい本があるんですね。宮本常一って民俗学者が書いた『忘れられた日本人』って本なんですけど、そこに「土佐源氏」って話が収められているんですね。

この話がとにかくエロい。賭けてもいいけど、私、一発さんはこの本を読んでゴニョゴニョ、オナると思うな。
でもこれ、図書館とかに普通に置いてある本なんですよ。れっきとした専門書ですから。大学で民俗学とか習うとテキストとして読まされることもあるって代物なんです。

でもエロい。しかも実話。日本の性の原風景が書かれています。それが民俗学で名著とされている専門書。

いつか一発さんとは、とことんお話を聞かせてもらいたいです。私はちょっとやそっとのことでは驚きませんよ。
たとえ何をしてようと、私にとって一発さんは、あまりイメージは変わらないと思うな。
それは結構、自信がありますけどね。

そういえばつい最近、お医者さんごっこをしていた従姉妹に会いましたよ。カナヘビとか虫とかマンコに突っ込もうとしたことがある、例のコです。いつか一発さんのブログにも書いたでしょう。
「結婚しないのか」って聞かれちゃいました。最近、まわりに言われるんですよね、そろそろいいだろうって。
こいつ、覚えてんのかなぁ、ってちょっと思っちゃいましたね。
まぁ、子どもの頃なんて、みんな変態でしょう。度合いの差だけですよ。
もっともだからこそ、度が超えている一発さんは尊敬に値するんですけどね。

変態なのは認めますけど、鬼畜って言われてもねぇ。
そんなに蔑むことではないんじゃないかと思いますけどね。

あっ、それとも、これ、なんかのプレイなんですか?

江戸時代まで銭湯も混浴でしたしねぇ。
既婚女性の不倫は死罪でしたけど、未婚の女性は結構自由で、湯治場でちょんちょんと男をつついて湯の中で・・なんて話を聞きました。
毛が生えたらやってよし!とかw

そんな話を調べたりするのは好きです。
あと昨日偶然夜這いの話を相方としてましたよ。
最後は津山30人殺しの話になってショボーンでしたけど(^^;

土佐源氏の件はですね、ええと、それこそいつかのブログに書いたような頃、近いものがあったんですよ。
犯したもん勝ち的な風習と、暇つぶしの弄りあい。
学校の階段で拍手貰ってノリノリでストリップする女の子。

それが普通だったので、その後転校してびっくりしましたよw
え?おっぱい揉んだら叫ばれた?!みたいな(笑)
パンツ脱ぐ女の子もいないし、チンコ触ってくる女の子もいないし。

そこから抑圧されて現在まで至ったからこうなったのかなぁ?w
その風習を持たない人を無理やり引き込もうとするから、人から鬼畜と言われるのかもしれませんね。
こっちとしてはそれが普通なのに。


む?!あ!だからスイッチがわからないんだ!!ww
最初から基準自体が違うから・・はぁなるほど。
私的には、私がエロいんじゃなくて、他の人がエロくなさすぎなわけですよ。

関係ないですが、先日のキャンプでカナヘビ見ましたw

そうそう

廻りがおかしいのかもしれないですよ。
みんな便宜上、妥協しあって社会を形成しているんです。
それに気づかず生活している人もいるでしょうけどね。

一発さんも、この時代の、その場所だから「鬼畜」と言われるのかもしれませんけど、別の時空に飛べば「当たり前のことですが何か?」ってなるかもしれません。

これも仏教ネタですけど、この世には無量の国土があって、そこではそれぞれの得度の仕方があるんですって。私たちのいる娑婆世界は「耳根得道」と言って、音声でもって仏道を成じるんですけど、他の国土に行くとそのやり方はまるきり通用しなくなるらしいんです。
コミュニケーションの手段がコトバではないってことなんでしょうね。だからお釈迦様といえど、他の国土に行ったときは、そこで法を説いてはいけないのです。その国土の衆生を迷わせるので。
その国土では、その国土での価値観、ルールがあるんでしょう。
経典を読んでいると、他の国土の仏様って、結構、変態ですよ。SM愛好家もまっつおだったりします。

もっとも一発さんの場合、それを受け入れてくれる家庭があるんでしょう。私には羨ましい限りですよ。

ところで私も最近、カナヘビを見ました。
あいつら、すっばしっけぇ。
子どもの頃、よくつかまえられましたよねぇ。

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