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タング ・アニマル 

代々忠の『プラトニック・アニマル』を使って、淫語のイヤらしさを書いてみようと思っているんだけどさ。その前にこの本自体の評価がどんなもんかネットでいろいろ見ていたのね。そしたら、やっぱりというかなんというかみんな評価が高いんだねぇ。
しかも結構、この本には思い入れの強い人が多いみたい。

確かにこの本は良い本だ。
監督自らが「私がピンク映画の世界に足を突っ込んで以来、四半世紀で獲得した性に関する理論と方法の全てである」(代々木忠 『ブラトニック・アニマル』情報センター出版局 34p 1992)と書いてるだけのことはある。
百万言の空虚な理論より、実体験をもとにした理屈の方があきらかに説得力がある。男女のSEXというものを理解する上で必読の書と言っていいと思う。

ただ正直に言うと、監督の経験から離れて大きく理論を展開する部分になってくると、自分はにわかにうなずけなくなってくる。
一応、念のためにレジュメを切ってみたんだけど、体系化に成功しているとは思えない。なんかもったいないんだよねぇ。論理的な緻密さに欠けるんだな。

たとえば「理性」っていう言葉だったり「愛」という言葉だったり、読んでいるとどうも引っかかる。
ちょっと使い方を間違えている。今ひとつ正確じゃない。言葉の歴史的な変遷を無視している。それって自分とは言語感覚が違うってことなのかねぇ。
まぁ、学術書ってわけじゃないから、もともと細かく定義する必要もないんだろう。この本はあくまでも代々木忠という人の言葉で語られなければ意味がない。言葉としては正確になっても、今度は説得力がなくなってしまうかもしれない。

だけど自分の目的はこの本を使って淫語を説明すること。となると自分なりに換骨奪胎して再構成しないとキツいなぁと思っている。
当然、著者の意図とは違う使い方をするかもしれない。それって非礼に当たるんだろうか。でもこればっかりはしょうがないよね。
自分の哲学や思想が代々木忠と同じである方がかえって気持ち悪いはずだから。

「言語道断」って言葉がある。
日常的には「とんでもねぇ!」とか「ありえねぇー」とか「あきれてものが言えません」っていう意味合いで使っている。でも、これ、もともと『大智度論』っていう仏教書に書かれてある言葉で、まぁ簡単に言やぁ「究極の世界は言葉に表現できない」って意味。

この言葉の面白いところは、「言葉に表現できない」ってことを「言葉」で説明しているところなんだよね。
確かに「究極の世界そのもの」を言い表すことは不可能なんだけど、それを指し示したり、その輪郭をギリギリのところでなぞったりする努力は必要だとも言える。
むしろそれこそが言葉の本質なわけで、だから「声仏事をなす」ということで、仏の言葉を経論として編んでいくことになる。

真理を表現することは不可能。だから言語道断。
でも、表現をしなければ真実にたどり着けない。
言葉を惜しむことは存在そのものがないということでもある。
人間はなんだかんだいって「言葉の世界」の中で生きているわけだから。

だからこそ「言葉の選択」って大事だと思うんだ。
なぜその言葉を選んだのか。他の言葉ではいけなかったのか。
そのこだわりにこそ、その人の個性が出ると思う。

たとえば「愛」っていう言葉なんて、気をつけないといけない。
昔からいろんな人が「愛について」語っている。随分、手あかにまみれた言葉でもある。
仏教的な解釈、儒教的な解釈、キリスト教的な解釈、いろいろ入ってごちゃごちゃしてる。

自分は「愛」というのは、基本的に関心を持つことなんじゃないかなぁと思っている。
もともと「愛」っていう文字は「人が頭をめぐらし振く象形」と「その心の様」に「その方向に向かう足の象形」をあわせて作られている文字。つまり「ある方向に歩いていた人が突然何かを気にかけて振り向き、引きつけられそちらに近づこうしている状態」が「愛」ということになる。強い関心を示して近づこうとするってことだね。

関心を持つって、実は人間が持つ一番、基礎的なエネルギーなんじゃないかと思うんだ。
古事記にも、もともと日本の国の出発はイザナギとイザナミの男女の神がお互いに関心を持つことから始まるわけでしょ。
しかもこの神様の名前の由来は、「いざなう」という言葉からでているとも言われている。「誘う」というのは、相手に関心を持たせようとするってことでもあるよね。

いずれにしろ、「愛」って言葉は人によって違う。もしその言葉を使うなら、なぜその人がここで「愛」という言葉が適切だと思ったのか、なぜその言葉を選択しなくてはならなかったのか、説明しなくてはいけないと思うんだ。

そういえばAVレビューでも、「抜ける」とか「エロい」とかついつい使ってしまうけど、あれもホントは吟味した方がいい。なぜこのレビューアーはここで「抜ける」という言葉をチョイスしたのかとか、この監督にとって「エロい」とはどういうことかとか。

「なんで淫語がエロいと感じるのか」
まぁ、答えなんて出ないんだけど、でも輪郭ぐらいはなぞらないといけない。
言葉を惜しむことは、生きることを惜しむこと。
関心を示したら言葉を投げかけなければね。次にすすめないでしょ。
人間が言葉を使うのは、人間としての本能なんだから。

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イザナミイザナミ(伊弉冉、伊邪那美)は、日本神話の神|女神。イザナギの妹であるとともに妻。別名 黄泉津大神、道敷大神。天地開闢において神世七代の最後にイザナギとともに生まれた。国産み・神産みにおいてイザナギとの間に日本国土を形づくる多数の子を設ける。その中

  • [2007/10/07 13:32]
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