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昔、鈴虫は松虫、松虫は鈴虫と呼ばれていた 

結局、寝ました。
つーか、寝るよね。0時過ぎたら人間は。
中出しソープは今日の夜、数え直しますよ。

マニュアルもカウントとディクテーションさえなければもっとサクサク更新できるんだけど、こればかりはしょうがない。
あと時間がかかるのはリンクを張り巡らしたりする作業。これがいちいち面倒くさい。
作っていて楽しいのは総評のレビューを書く段階になったとき。ものの20分ぐらい。

マニュアルと違って、ボヤキでレビューするんだったらそんなに時間がかかるわけでもない。
印象的なディクテーションの時間を入れたとしてもたいてい1時間ちょっとでしあがる。
ぴぃ助の「名前のない女たち」は力が入っちゃってかなり時間をかけたけど、あとのはとりあえず文章だけ書いてUP、そのあと画像をつけ足していくので、手間自体はそんなに大変な気がしない。一からHTMLで作るよりはかなり楽かもしれない。
逆に自分でウェブページを作るとなると、自由に作れる分、余計な作業も多い。

だいたいレビューサイトってほとんどのところがブログでやっているもんなぁ。
でもあれだとデータベースとしての役割を担えないから、ニッチな趣味サイトとしては今ひとつ使い勝手が悪い。
やはり体系的にWEB構築できるのがいい。

それとなんだか知らないけど、ブログのレビューサイトってやたらアフィリエイトを貼りまくっているところが増えてきちゃって、あまり有益なことを書いているように思えなくなってきているんだよね。
もちろんまともなブログもないわけじゃないんだけど、たとえば自分がよく行っていたアダルトレビューサイトも、みるみるうちに広告だらけになっていって、広告の中に記事が埋め込まれているようになってしまった。しかもスクロールするたびに追っかけてくる目障りなポップがあったり、「それ、AVと全然、カンケーねぇーじゃん!」みたいなPCパーツのアフィリが貼られたり、そこまでいくと逆に必死すぎて引いてしまう。

以前はユーザーサイドに立った正直なレビューを書いていたはずなんだけど、あまりにも広告が目立つようになると、売るために作品の評価を甘くしているような気すらしてくる。
「このDMMの商品リンクを踏んでくれぇぇ!」という下心がみえるようでなんかイヤ。
そういうときはむしろ別のことを意識させた方がいいと思う。
これみよがしにやりすぎると、人の心って離れて行くもんだからね。
これ、昔、自分が営業職についていた頃の「営業の極意」。

実は小説や戯曲を書いたときに学んだことなんだけど、物だとか自然現象などは比較的伝わりやすい情報なのね。

「空がゴロゴロ鳴った」
と書けば、たいていの人はそれが「雷」のことだとすぐ思う。
「空」という場所、「ゴロゴロ」という擬音から連想はたやすい。

ところが人間の心情、たとえば小説でよく書くことになる登場人物の「不安」だとか「恐怖」だとかは、人の感性もまちまちだからなかなか他人には伝わりづらい。相手にちゃんと伝わってないんじゃないかと思い始めるとますます強調したくなる。もどかしい気持ちに駆られて心情表現を繰り返す。
語り手が強調すれば強調するほど、多くの情報に受け手は混乱する。何が言いたいのかよくわからなくなり、必死さだけが伝わってくるので気持ちがどんどん離れていってしまう。

だから伝えづらいことを表現しようと思ったら「心」を書くんではなくて「色」を書かないとダメだ。
それは恋人からもらったマグカップが壊れたことで表現できるかもしれない。
しおれかけている花でも丹念に書き込めば登場人物の不安を書けないわけではない。
もちろんうまくやらないと陳腐になる。そのあたりが作家の技なのだろう。

そういう意味で一番洗練されている表現形態が「俳句」だ。

「むざんやな 甲のしたの きりぎりす」

有名な芭蕉の句だけど、これには 「無残」という言葉と「兜の下」にいる「コオロギ」(この時代の「きりぎりす」は今のコオロギのこと)しか情景描写をしていない。
しかし芭蕉が「無残」だと言ったのは単にコオロギのことではないだろう。
もちろん「奥の細道」を読めば、この句に出てくる兜の持ち主は斎藤実盛という武将で、「平家物語」での木曾義仲との数奇な運命の話を知れば、この句に託した芭蕉の意味も見えてくるだろう。
だがそんな事情を知らなかったとしても、この句の持つもの悲しい雰囲気が伝わってくるのはなぜなんだろう。
それは「兜」という合戦に使う道具の見た感じと、その下で鳴くコオロギの淋しげな虫の音を誰もが知っているからだろう。

何か強調したいことがおこったとき、しつこいほどに書き込んでしまってはかえって逆効果だ。むしろ受け手の想像力を期待して、五感のどれかを刺激するような表現におさえる。ある意味、受け手を信じて意味内容をゆだねてしまうぐらいの方がちょうどいい。
想像は押しつけるものではない。促すものだ。
それは小説でもAVでも、表現するものならなんでも言えることだろう。

コメント

あああああああああああああああ

べ、勉強になりました・・

「あああ・・・・・」とか書かれると

一瞬、「またコメントスパムか」と思って削除しちゃうとこでしたよ。

藩さんや二村さんのせいで、昔のことをよく思い出すようになっちゃっています。
私もそれなりに表現と格闘していた時代がありました。
またそれを生業にしている人たちには敵わないと思う気持ちもあります。
だからそう簡単に書けてたまるかって、そう思ってもいるんですよ。

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