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走り寄って首を抱き、接吻した 

ATOK問題はよくわからないなぁ。
とりあえずアプリケーションごとに設定をしたらだいぶよくなった。
それと使っているうちに直っていくような気がしなくもない。
面倒だからこのあたりで手を打つか。

更新は来週からがんばることにしよう。

それと裏マニュアル用にDTIブログを取得したんだけど、DTIって、アダルトカテゴリだとやたらでかい広告が上の方に張り付いていて、これがまた自分の嫌いな動くバナーなもんで、それで今ひとつ作る気になれなくなっている。
いっそのこと裏マニュアルもfc2でやるかなぁ。

まぁ、このあたりも来週中には決着をつけましょうね。

とりあえず明日、一本、アップしよ。

さっき読んだ本。

 しかし数十年前に読んだときと今と、ちがうことがひとつだけありました。昔は、ただおもしろい、ああおもしろかったと読んでいたそれらの読み物が、今はなんと、泣かずに読むことができない。わたしは『アルプスの少女』で泣き、『家なき子』で泣き、『小公女』で泣き、『小公子』で泣き『クオレ』で泣き、泣けて、泣けて、しようがない。わあわあ声をあげて泣くことさえできるのです。
 やはり年はとるもの、とわたしは思いました。わたしはこの数十年の間に、いろんな経験をつみ、いろんなおとな向けの本を読み、いろんな喜怒哀楽をあじわいました。『アルプスの少女』の中の挿話ですが、ハイジの読む絵本の中に、放蕩息子が家に帰るという話がある。わたしはその話を、もうよく知っています。出典も、それがどういう倫理や感情を喚起させるものがたりであるかも。それを読んでハイジも感動し、ちがう理由でありますが、人嫌いで頑固な山のおじいさんも感動して泣いた。頑固なおじいさんの頑固さとは何か。おじいさんの感じた感動とは何か。それにさえ、わたしは共感することができます。そんなこともわからずに、いったい三十年前のわたしはハイジの何を読み、何に感動していたんでしょうか。

伊藤比呂美『居場所がない!』朝日新聞社 1996.10.1 188p

自分も、何年か前に『アルプスの少女』を読んで不覚をとって泣いてしまった。
昔はわからなかったけど今はよくわかるって話、結構あるよね。

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