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みんながみんな「おねマス」なわけじゃない。 

ああ、できれば明日アップして久々の週3の更新にしたかったのだが、明日は急に外出しなきゃいけない予定が入って作れないのであった。
今夜は、ちょっとした宿題を今日中に片付けたいので、更新用の作品を見ている時間がない。確実に来週だな。

今日、これ買ってきた。

名前のない女たち最終章 セックスと自殺のあいだで
中村 淳彦
宝島社
売り上げランキング: 49238
おすすめ度の平均: 4.5
5 壮絶です
4 名前のない女
5 泣きました

さっきちょこっと読んだんだけど、「目次」見たら読後の感想なんてとても書けそうに思えない。
とりあえずAmazonに目次が載ってなかったので、ラインナップだけ列記しておくわ。

  • まえがき
  • 消えることのない血の怨念 山崎アジコ
  • ゴミ屋敷に生きる女 夕張めろん
  • 壊れないオモチャになりたい ぴぃ
  • あたし、けっこう終わってるから 島谷聖羅
  • 足立区の美人局とダラしない女 名波ゆら
  • 厚塗りの化粧した女がやってきた 北崎未来
  • 一生カラダを売り続けなければならない 高橋ゆりか
  • ロリコンパーティーで輪姦されてパパから十万円もらった 福橋由芽
  • 肉便器と呼ばれた女 山形チェリー
  • 取り残される不安、孤独な焦り 美咲沙耶
  • 一日十発セックスしたら学校なんて行く気にならない 大沢佑香
  • 生と死、境界線を生きる女たち 桃色まあち、桜一菜
  • エピローグ
  • あとがき
「まえがき」からして、いつも以上に色調が暗い。

 二十数年前、産声をあげたアダルトビデオはあらゆる隙間に挑戦して、遂に芸能人のみをキャスティングするメーカーまで現れて、表現的には最終地点まで到達してしまった。書店売りは淘汰されてコンビニ流通で首の皮が繋がっていたエロ本は、もはや終焉が秒読みとなっている。どんなメディアも頂点を掴んでしまった後は、下降と悪化の一途を辿るのみである。お客はどんどん離れて市場は急激に狭まり、すべての関係者が限界まで定価を下げて生き残りを図るデフレ状態となり、苦しみながら生きていた。

中村淳彦『名前のない女たち最終章』宝島社2009.4.24発行 1p

そして中村は「メディアは人間の足を引っ張ることはあるが、決して人を救うことはできないと悟ってしまって、この『名前のない女たち』は苦痛でしかなくなっていた」と自分の心境を吐露する。

 現在、芸能人までが登場するようになったアダルトメディアの中で、企画AV女優はもはや無価値に等しい存在になっている。よほど美しいか性的に成熟してない限り、自分の生活を支えるだけの貢献をすることさえも困難である。アダルトビデオの仕事がお金になるというのは完全に過去の産物であり、フラッシュバックした幻覚であり、女の最終手段ももはやメディアに売ることはできない。最終手段を売ることを決意したにもかかわらず、その現実を知らないまま蠢いている企画女優は底なし沼の世界になっていた。
 ピリオドのその先へ――自分自身の限界を超えたボクは、本当の絶望を見ることになった。

中村淳彦『名前のない女たち最終章』宝島社2009.4.24発行 3p

相変わらず中村淳彦の文章は健在だ。
この人の特徴は読者に「そんなことはないだろう」「それは言い過ぎだろう」という気分にさせていく。そういう読者の反駁心を使って話に引き込もうとするのだ。
それがこの人の文才であり、それがまた人によって生理的な嫌悪感を引き起こし、業界内部にいらぬ敵を作るわけでもある。

でもこれは昔からある文章技術の1つである。
たまたま店頭で「まえがき」を読んでしまった読者は、たとえ買わないにしても、「こんなことを書きやがるヤツは女優の何を知って言いやがるんだろう」と店先で斜め読みぐらいはするかもしれない。
この芸はそうそう余人の真似できるものではない。まぁ、真似したくもないが。

いずれにしろ、これが最後というのはかなり残念でもある。
ただ終わる理由が「オレンジ通信」の廃刊からくるものなわけで、そういう意味では『名前のない女たち』は時代を馳せたエロ雑誌の死亡とともに終わったのだ。

コメント

昨夜、疲れて寝ちゃって読了できなかった

私も昨日、購入しました。
小さい本屋だから、あるかなーと思ったら、飯島愛の本の隣に山積みされてた。
そのことに妙に納得してしまいました。
いろいろ考えさせられたり、ツッコミたくなるんですがそれもこれも含めて中村さんの力量ですね。
でも私はやっぱり「こっちの方の娘」にシンパシー感じちゃいます。

「グロテスク」読んだときに

思い出したことなんですけど、男好きする「美人」とつきあっていた時、その子のお姉さんとも親しくなって、2人だけでお茶とかしたり、ときにはお酒飲んだりしてたんですよ。
その女性はグロテスクの姉とは違っていて外向的な方ではあったんですけど、でも決して美人というわけではなかった。まぁ十人並みってところでしょうか。冷静に物事を見ているわりには、少し夢見がちなところもあって、ディズニーランドをこよなく愛する女性でした。

それで何かの時に、彼女がとても落ち込んでいたことがあってそれでなんとか励まそうと思って五十嵐淳子だと思ったんですけど、その人を引き合いに出して励ましたんです。どう励ましたのかは忘れちゃいましたけど、自分なりに説得力のあるつもりで言ったんですね。
そしたら彼女は一言「だって五十嵐淳子は美人じゃない」って真顔で言われちゃいました。
彼女は決して女性として魅力のない人ではないんですよ。岡惚れする男もいたぐらいですから。

でもそのとき、初めて女性の中には格差があるんだなぁって思ったことがあります。

その妹の方はよく「お姉ちゃんに相談しても、『あなたはカワイイんだからいいじゃない』って相手してくれない」って言ってました。

あのころはまだ二十歳そこそこのガキでしたから、女性のそういうところに戸惑うばかりでしたね。

格差社会

でも格差をつけるのは「若い男」&「バカな男」ですよ。

修学旅行の仕事で、中学生とか見てたら、容姿のアレな女の娘に露骨に「お前らと一緒の班恥ずかしい」とか言う男子いますからね。

私もやっぱり学生時代の「男から言われた言葉」「格差ある扱い」が劣等感になり、年上の「自分の理解して、人間として扱ってくれている」唯一の存在(と、当時は思ってた)に、どっぷり依存して破滅しちゃいましたもん。

今でも若い男は苦手ですね。
同世代すら苦手。男自体が苦手っつーか、嫌いだけど。

あと、親に容姿のことをあれこれ言われ続けて、どうしてもそこから逃れずにいる友達もいますね。肉親とか親戚って、ホントに無神経だから。
彼女は整形しました。

でも不細工でも自信満々な人はたくさんいますね。
だから気の持ちようなんだけど、その「気の持ちよう」が人生を左右して、大きく狂わせてしまうこともあるから、重い。


自意識に縛られる本能

確かに男の子は残酷で、ガサツで、うかつです。

ただ「グロテスク」のグロテスクたる所以は、男の子の児戯に等しい女性の容姿への言及よりも、同性である女の目の方が遙かにキビシく抑圧が強いってことです。
桐野夏生が設定した「グロテスク」な女性の「自意識」を培養させたところはお嬢さん学校の女子校でした。そこが1つの肝だと思いますね。

自意識が強いのはグロテスクです。そして自意識が強い人間は自意識が強いゆえに自意識の強さが醜悪であることを知っている。
自分の容姿を肯定できる女性ならいいんでしょうけどね。
でも『グロテスク』はそれすらも許さない。そして美人で淫蕩なユリコには死を与える。

やはり人間は、動物としての本能がぶっ壊れているのかもしれない。
アニマルには自意識なんてないでしょう。

夕張めろんがゴミ屋敷の中でインテリア雑誌の白い部屋の切り抜きを壁に貼り付けて「こんな部屋に棲みたいな」と夢想する。
ゾッとしましたね。

でもそれは「AVの企画女優」だからとかそういう話ではないんですよね。
中村さんはあえてそういうのを集めただけで、ちまたにそういったことは起こっている。
ひょっとしたら昔からあったのではないかとすら思います。
ただコミュニティーが壊れて、そういった家族の問題が露出してきただけなのかも。

源氏物語の時代から、女性の格差はあったはずですから。
それは本当に男の視線のせいなんでしょうかね。
果たして男性社会のひずみから生まれているものなんでしょうか?

中村うさぎが整形を繰り返すことが男性の視線のせいとは私にはとても思えない。

明日は都の右京へ

柴門ふみの漫画に、「常に敵は同性よ」という台詞がありました。

憎悪の対象は男性だけど、敵は女性だと思うようになったのは仕事をまともにやりだしてからです。
男性は敵にならない。言い方悪いですけど、敵にすらならない。
女の世界で仕事をしているからというわけではなく、敵は同性だと私も思います。嫌いな女だらけです。

「グロテスク」の書評を読むと、あの女子高の描写が一番強烈な印象だったという記事を幾つか読みました。男性が多かったです。

 一夫多妻制の時代なんて、格差は相当キツかったんじゃないかなと思ってしまいますが、それは現代の価値観で見てしまうからですね。

 そんなこんなで、女の世界で、明日は人だらけの嵐山行ってきます。

柴門ふみ

それって「女ともだち」にありましたよね。
昨日、どこにあったか押し入れの中にあるマンガをごそごそやって全6巻発掘してきました。

早速読んでいたんですけど、今のところどこにあるかわからない。
でもこのマンガが出ていた頃は、まさに件の彼女とつきあっていた頃で、女の人の自意識とナルシズムに翻弄されていた頃でしたね。
柴門ふみは結構、参考にしてたんじゃないかな。
それと森瑤子。

そういやぁ、森瑶子が小説を書き始めたのは37歳ですよ、藩さん。

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