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大阪城って一度ゴモラにぶっ壊されたんだよね。 

東京に帰ってきました。
いやぁー、出発前にあてこんだ予算を大きく上回る散財をしてしまった。

まず大阪はホントに食い物がうまい。それに東京よりも安い。
呑みまくり、喰いまくり倒して次の日は胃薬のやっかいになった。
それと気前よく友人の子どもにいろいろ買ったりしたもんで、次の京都は少し緊縮しないといけないなぁと思ったのだけれど、これがまた予想以上にお金を使う。

そもそも自分はお寺で拝観料を取るっていうのがなかなかなじめない。
東京のお寺にも重文や国宝に指定されているところがあるけれど、深大寺の白鳳仏にしろ正福寺の地蔵堂にしろ、基本的には無料で拝謁できる。東京近県の神社仏閣で拝観料を取っているところはまずないのではないか。
小京都とも言われるあの鎌倉にしても半々ぐらいか。しかも300円以下のはず。京都はだいたい500円~800円ぐらいの値段で、ほぼ漏れなく払うことになる。
なんかお金を払うたびに、仏と向き合う気持ちがさめるんだよね。

京都ではこの拝観料が懐具合にこつこつ響いた。
だから途中一緒になった藩金蓮さんには決してお金の負担をかけさせないようにと思っていたのだけど、最後の方は割り勘にしてもらわざる得なかった。すんません。

それと京都って三菱東京UFJのATMがあまりないんだね。
結構、探すのに苦労したぞ。

大阪でも京都でもいろいろ食いつくところがあって、今後考察して楽しむタネをいっぱい仕入れてきた。しばらくはまた関連の文献をあさったりするのだろう。

ただ大阪もそうだったけれど、京都はお寺よりも街中や鴨川沿いを散策したときの方が何気ない発見があって面白い。

それとやはり自分は、そんなに仏像が好きってわけでもないんだなぁと思った。
寺に行くのも仏像そのものがどうというより、なぜその仏像ができたのか、なぜ観音なのか、なぜここに亀がいるのか、ここに稲荷の祠があるのはどうしてなのか、そんなことをああでもないこうでもないと考えるのが好きなんだ。
対象物そのものというより、対象と人と関係性、その心のありかに興味がそそられる。

鞍馬に行ったとき、2人の白人男性が手水の作法を形式どおりにやっていた。
その脇を何も知らない日本人カップルが「これ、飲めるの?」とか言っている。
その外国人は別に山の神様を信じているわけではないだろう。
実際彼らの姿からは、好奇なものに向ける眼差し以上のものは感じられなかった。あえていうなら彼らが無神論者であっても、逆に敬虔なクリスチャンであってもおかしくない。
それでも毘沙門天を拝謁するために、古式の作法に則り手を洗い口をすすいだのは彼らなりの敬意の表れなのだろう。
それを人は礼儀という。

東京に戻ったらフジロックのことで「なめるもなめないも山に神様なんかいないよ。山に神様がいると思ってるんだ。あなたキチガイですね。神様はいません」って書いているライターの人を今更ながら見つけて(この記事自体は4/22で、なんかちょっとした騒ぎになったのかな?)、ちょっと嗤ってしまった。

自分も無神論者ではあるし、霊魂とかは全然信じてない人なんだけど、いくら筆が滑ったとはいえこんな全国にある浅間神社にケンカを売るような文章は書けないなぁ。
これって自分に言わせればディズニーランドに行く人たちに向かって「ミッキーマウスが実在すると思ってるんだ。あなた○○○○ですね」と言っているのとあまりかわらない。

ということで、今月は新作買うお金が無くなってしまいました。
淫語マニュアルはしばらく旧作のみのレビューとなります。

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