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破天荒な人間がみなカッコいいわけじゃない 

「パラノイア」は今なら「妄想性人格障害」ってことで、「他人に対し疑り深く、被害妄想が強い人」のことをいうわけだが、自分などは高校生ぐらいの頃、一世を風靡した浅田彰の「パラノ型とスキゾ型」のことをついつい思い浮かべてしまう。

この概念を知るとっかかりは、三宅裕司のラジオ番組「ヤングパラダイス」のワンコーナー名で、「スキゾ・キッズ」って言葉を使っていたのが最初だった。
だから実際に浅田彰の文章を読んだときは高校生の自分の頭にはあまりにも難しすぎて脳みそがふるえた。

 ここでまず思い起こされるのが、人間にはパラノ型とスキゾ型の二つがある、という最近の説だ。パラノってのは偏執型パラノイアの略で、過去のすべてを積分=統合化インテグレートして背負ってるようなのをいう。たとえば、十億円もってる吝嗇家が、あと十万、あと五万、と血眼になってるみたいな、ね。それに対し、スキゾってのは分裂型スキゾフレニーで、そのつど時点ゼロで微分=差異化ディファンレンシエートしてるようなのを言う。つねに《今》の状況を鋭敏に探りながら一瞬一瞬にすべてを賭けるギャンブラーなんかが、その典型だ。

浅田彰「逃走する文明」『逃走論』所収 ちくま文庫 1986年 10p

この「逃走する文明」という文章は『BRUTUS』(1983年1月1・15日号)に載っていたコラムなので、文章こそくだけてはいる。でもやはり難しい概念であることにはかわりない。
まぁ一番、卑近でわかりやすい分類だと、血液型占いのA型の性格がパラノ、B型の性格がスキゾって感じなんじゃないかと思う。

この時代はバブル期に入る直前で、旧体制、社会秩序からはずれているのがカッコイイみたいな気分があったんじゃないかと思う。今でも自分よりちょい上の世代、昭和30年代生まれの人間はアウトローや、規格外の人間を賛美するようなところがあると思うんだけど、この浅田彰の文章も「今の社会(→パラノ型社会)から逃げちまえ!」的な「時代の気分」があって、そこが当時の若者に受けたように自分は思う。

 さて、もっとも基本的なパラノ型の行動といえば《住む》ってことだろう。一家を構え、そこをセンターとしてテリトリーの拡大を図ると同時に、家財をうずたかく蓄積する。妻を性的に独占し、産ませた子どもの尻をたたいて、一家の発展をめざす。このゲームは途中でおりたら負けだ。《やめられない、とまらない》でもって、どうしてもパラノ型になっちゃうワケね。これはビョーキといえばビョーキなんだけど、近代文明というものはまさしくこうしたパラノ・ドライヴによってここまで成長してきたのだった。そしてまた、成長が続いている限りは、楽じゃないといってもそれなりに安定していられる、というワケ。ところが、事態が急変したりすると、パラノ型ってのは弱いんだなァ。ヘタすると、砦にたてこもって奮戦したあげく玉砕、なんてことにもなりかねない。ここで《住むヒト》にかわって登場するのが《逃げるヒト》なのだ。コイツは何かあったら逃げる。ふみとどまったりせず、とにかく逃げる。そのためには身軽じゃないといけない。家というセンターをもたず、たえずボーダーに身をおく。家財をためこんだり、家長として妻子に君臨したりはしてられないから、そのつどありあわせのもので用を足し、子種も適当にバラまいておいてあとは運まかせ。たよりになるのは、事態の変化をとらえるセンス、偶然に対する勘、それだけだ。とくると、これはまさしくスキゾ型、というワケね。

浅田彰「逃走する文明」『逃走論』所収 ちくま文庫 1986年 11p

カタカナの使い方がまさにバブリーな印象を与える。
この時期は好景気に湧いていた頃だからこんな論が受けちゃったんだろう。でも不況の今となれば、逃げてる場合じゃないって事態になっている。
学生の就職は安定志向の公務員の方が人気が出ちゃったりしてるしね。
つまり今は「やっぱりパラノだろ」って言動にシフトしてってる。
「スキゾだと食っていけない」「フリーターのままじゃいられない」ってことになりつつある。

それに天才というのはモーツァルトやシューベルトみたいなスキゾ型ばかりじゃなく、 ベートーヴェンやブラームスみたいなパラノ型もいるんだよね。

「オナニー・パラノイア」がときどき女優にスキゾなことをやらせているのは、ノーマルKIM監督の中にスキゾ型に対する憧憬のようなものがあるのかなぁと思ったりすることがある。
特に初期の頃のオナパラはスキゾっぽい発想を無理くりひねり出していたようにも見えた。

最近、ようやく「パラノ」っぽい要素が増してきて、だんだんタイトル通りになってきたけど、それでもおっちゃんにすればまだまだ足りないんだよねぇ。
もっともっとインテグレートしてくんないとね。

ところでちょっと思ったんだが、「スキゾ」にも「パラノ」にもなれなくて「メランコリー」になっちゃう人もいるんじゃないだろうか。
パラノ的な競争には落ちこぼれ、スキゾ的な逃走には転んで傷ついてしまったメランコな人たち。
走れるうちはいいけど、走る気力すらなくなった人間はどうすればいいんだろうね。

もっともニートや引きこもりなんて今になって生まれたんじゃなく、江戸時代の昔から結構いたんだけどね。

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