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それで納得出来るんなら、それはそれでいいのかぁ。 

今日更新した今井ひろのちゃんのゴージャスオナニーサポートはなかなかよくできていた。

たとえば淫語の変化だが最初のオープニングでは今井ひろのが

ひろの、いろんなエッチなことするから、あなたはひろのことを見て、おちんちんシゴいてて。…えっ、おちんちんより、チンポの方がいいの? う、うん、わかった。
ひろの恥ずかしいけど、君が興奮するなら、チンポとか、エッチなことばを言ってみるね。チンポ、とか言ってると、ひろのもドスケベさんになったみ、…気分だよ。こうなったらいっしょにうオナニーしようか。君もひろのとエッチなことしているつもりで、チンポしごいてね。ひろのにこーい精子、いっぱい見せてね。じゃあ、ひろの、まだ恥ずかしいからちょっと練習。
チンポ、おちんぽ、おちんちんさん、チンコ、チンポコ、ポコチン、はぁー、恥ずかしいよぉ~、おちんちん、おちんちんぽ、ちんぽ、ちんぽ、ちんぽ、ああ、まだ恥ずかしいけど、こんな変な気分になってきた。
さあ君も、パンツ脱いで、おちんぽ見せて。ね、お願い! そうしたらひろのも恥ずかしくないかも。ね♥ さぁ、チンポ握って、はじめよ。

と「おちんちん」から「チンポの方がいいの?」と言わせ、さらに淫語の練習までさせてみる。

ところがよくよく聞いていると、この時点ではあくまで男性器の呼称を言わせるのみで、女性器はない。
ようやく20分ぐらい経ってから言うのだが、それもすぐには言わずに、何回か言いよどむお芝居が用意されている。

あとはぁ、ひろのの、お、おー、おお、おっ、太もも! 太もも。

あっ、ふとももじゃないところ見てるでしょ。もしかして、ここ。やっぱりここが見たいの。ひろのの、お…お…おっ…おけけ。ひろののおけけ、やわらかいって言われるの。

そしてついに

ひろののマン毛、の、ちょっと下のところにあるのが、お、お、お…、おまん…、んこ。おまんこ。…おまんこって言っちゃった。あなたも、おちんちんって言って。

いったん口にしてしまえばあとは気兼ねなく

ハァー、おまんこ開くの、まだちょっと恥ずかしから、お尻見せてあげるね。

とすぐに「おまんこ」を口にする。

そしてついには、

ひろののおまんこ、もっとズボズボしてぇー。すごい気持ちいい。おまんこおまんこ気持ちいい。もっとおまんこズボズボしてぇ。

おまんこ気持ちいい。ああん、オマンコ気持ちイイよ。ああっ、オマンコ気持ちいい。オマンコ気持ちイイ。おまこん気持ちイイよ。

と連呼するところまでいく。

実に計算された流れ。
淫語魔のおっちゃん、こういうの大好きっス。

ほかにもこういう細かい芝居が随所に見られて、かなり玄人好みの作りになっていた。

だからこそなんだが、問題はやっぱり変なふうに「主観設定」にこだわっているところなんだよねぇ。

もちろんオナサポだから主観にこだわった作りでもいいのだが、宇佐美監督の場合、主観撮影のみの構図には限界を感じたのだろう。その苦肉の策としての「お約束」設定が生み出された。
「鏡」を使ってそこに主観側の体を映し込む設定と、「見せつけFUCK」としてのカメラ目線・語りかけのカラミである。

前者は、いったん「鏡像」ということにしてしまえば「鏡に映ったという体」で客観映像を入れ込むことも可能になる。
だけど鏡に自分の姿を映すにしても客観と主観映像はコンセプトが根本的に違う。
実際、宇佐美監督の鏡を使ったということになっている映像も、純粋に主観視点として見た場合アングルが高すぎたり低すぎたり、本当に鏡に映し込んでいたら見えない角度の構図まで入ってしまっている。
これではヴァーチャル感は出せない。自分のように主観モードに頭を切り替えて見ているとものすごくお粗末な映像に見えてしまう。

「見せつけFUCK」の方も「カメラ目線での語りかけ」以外は客観で自由に撮ってはいるが、主観映像としてはかなり問題のある構図がいくつかある。
それに男優側は声も出さず顔が映らないように不自然なまでの背け方をしているので、これが違和感を与えてしまう。
もしも見ている側の嫉妬を煽るなら、男優の顔をしっかりと映して、なおかつ声で挑発させるべきだがそこはやらない。そこだけはヘンな完全主観の縛りが入っている。

結局、なぜわざわざ「彼のことを大好きな彼女が彼の目の前で別の男に抱かれる姿を見せつけるのか」、映像で説明ができていない。これだと「かなり精神が病んでいる女の子をカノジョにした」設定ということになってしまう。

「完全主観作品」に客観映像を織り交ぜたいから入れているにすぎないこれらの撮り方には無理がある。こじつけはこじつけ以上のものにはならないのだ。

もちろん抜く分には気に入ったシーンでやりゃいいってことはある。だから前後の脈絡などいらないという考えもあっていい。
だが淫語ものというのはそうもいかない。流れがあって言葉は成立する。文脈がなければ言葉は意味をなさないのだ。

視覚のエロスは記号(sign)だが、言葉のエロスは信号(signal)なのである。

自分が宇佐美作品を何度も見返す気になれないのは、まさにこうした点にある。
自分にとって宇佐美忠則は、いろんな意味で抜きん出ていい作品を撮る人ではあるが、その作品がヘビロテ入りすることはまずない監督でもあるんだ。

ここが宇佐美忠則の弱点だとは思うけれど、でも消耗品としてのAVもありではあるからさ。
そのあたりは当人も割り切っていて、「賞味期限が極端に短くても構わない」ってことかもしれない。

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