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かつてはAV評論なるものも存在していた 

ユーザーとメーカーと制作現場との間に言葉の齟齬がある。

たとえば制作側が「これはいい作品だ」というのと、ユーザーから「これはいい作品だ」と評価するものは必ずしも一致しない。それは売る側のメーカーとて同じだろう。

これは「抜ける」ということにしたって同様だ。
AVは「抜けなきゃ意味がない」という言葉に反応する監督もいるが、それでは「抜けるとは何か」を説明できる人はどれだけいるのだろう。

わかっているのなら教えてほしい。「なぜ淫語はいやらしいのか」を。
あるいは「なぜ自分は淫語をいやらしいと感じるのか?」

だがちゃんとした答えを示せるエロ業界の人はひとりもいない。
もう4年以上サイトをやってひたすら淫語AVを見ているが、いまだになーんにもわかってないようなAVを作ってくるのはどうしたことか?

いったい「抜ける」とはどういうことなのだろう。どうしてAVには「抜けない作品」が存在するのだろう。
まさか「ハメシロ」見せて、「カメラ目線」で「アンアン」いえば「抜ける作品」ができると思っているわけではないだろう。
もしも「カメラ目線」が大事だとして、それではなぜ「カメラ目線」なのか追求した人はいるのだろうか?
適当なことはいくらでも言える。でも自分はまだちゃんとした答えを聞いたことがない。

そこをつっこんでいくと今度は「エロは人それぞれ」で逃げる人たちもいる。
自分のようなユーザーが言うのならいいだろう。だがそれをエロ業界人が簡単に口にしてはダメだ。それは表現者として無能を晒しているにすぎない。

淫語AVマニュアルを作ったのは、もっとユーザーが知りたい視点で書いたらどうなるかということだった。
淫語ビデオなのに「いやらしい淫語を連発」とかでお茶を濁し、淫語マニアにはなにも益さないレビューを書き散らしてきた連中の鼻をあかすために作った。

でもそれではあれは評論かというそんなことはない。
あれは情報の羅列だ。淫語マニアにとってはいいが、淫語に興味のない人たちにはただクレイジーな淫語カウントが書かれてあるだけだ。もしも自分がマニアじゃなきや結構気持ち悪いサイトと思ったことだろう。
淫語の魅力を伝える気などほとんどないのだから当然だ。

だが最近マニア向けのレビューではなくて、淫語属性のない人間でも引き込めるような文章を書かなきゃいけないかなぁと思いはじめている。
不特定多数の人間に「淫語のエロス」を納得させることができる文章。それが書けてはじめて淫語AVに詳しいと言えるのではないか。

それは何も淫語に限ったことではない。
確かにエロとは個人的なものだ。でもエロのメカニズムは普遍的なものであることも事実だ。
「抜ける」ということのメカニズムを暴きたてる努力。そしてそれを伝え納得させる論理展開。
純粋に抽出されれば自然と詩的表現へ昇華されていくだろう。

そうなってはじめて「AV評論」と呼べるものができる。

コメント

自分は淫語マニアではないですけどブログやツイッターいつも拝見してますよ。

ありがとうございます

ボヤキもついったーも人に読ませるって角度ではあまり書いていないんですけどね。
でも作品を見ながらの思わず出たつぶやきは意外と好評みたいで、こういう感じで女優や作品を語ればみんな読んでくれるのかなぁと思ったりしています。

かつてはAV評論なるものも存在していた

エロ。

異性が見せたがらないものを見たいと言う事なんではないでしょうか。

あとはインモラル。


淫語がイヤラシイのは、それは道徳的じゃないモラルから反したモノだから、それを異性が発することに趣きがあるのでしょう。

その異性からギャップなりを感じられればより興奮度は増すように思われます。


直接的なハメシロだとかは、いわゆるエロの部分的パーツだけをフューチャーしただけだから、エロくない。

エロとはコンセプチュアルなものだと。

結果だけチョイスしたら、ただの物理的なモノに終わってしまう。

感じるものなんだから、、理性的に考えられたモノはエロくないのは当たり前。


ホトケ作ってタマシイほっとけーみたいなもん。

深くて暗い 溝がある~♪

フーコーじゃないけれど社会的に禁忌とされているからそこにエロがあるのは一般論としてわかるんですよ。
わたしが問題にしているのはそこではないのです。

淫語の話をすると、たとえば台詞の抑揚一つでちがってくるんですよね。
「わたしのおまんこ」と言った場合、「わたしの」を強調して言う場合と「おまんこ」を強調する場合とでは違うんですね。そしてどちらがエロく聞こえるかはその時のシチュや順番によって変わります。

私が言っているのはそういう細かいところなんですよ。
こういうのって、わかっている人は感覚的にできてしまうんでふだんは意識してないんです。それをより具体的に説明し再構築していくことで、「いったいなにが行われているのか」を言語化していく作業こそ評論っていうと思うんです。
だからときには作り手もまったく意識してなかった事実を言及してしまうことがある。
「言われてみれば確かにそうだ」みたいなね。

それは、とても面倒クサイことなんですけど、そこをおざなりにすると「作り手」と「買い手」の間の齟齬がますます広がってしまうんですね。

麻郎さんは出演する側だから感覚的なところだけでもじゅうぶんで、しかもそれを自然とやれてしまうから麻郎さんのカラミは天才的でもあるんだけど、見る側はまたぜんぜん違いますからね。作り手の感覚をユーザーが共有できるわけがないでしょう。
また事情通のユーザーなんて一般ユーザーからすれば気持ち悪いだけですからね。

ユーザーと作り手の溝は、男と女の溝ぐらい深いんですよ。
誠実な言葉をつくさないで「わかっているだろう」では女の人は納得しないでしょう。
せめてなにが起こっているのかを言語化してくれないとね。

そうじゃないと、ある日うしろから刺されちゃうかもしれませんよ。

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