スポンサーサイト 

  • [--/--/-- --:--]

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

主観AVについて 

主観撮影は淫語モノにはよく使われる撮り方なので、淫語AVを見ていると結果的に主観AVばかり見つづけているなんてことがある。
もともと自分は最初にDVDを買ったのがFLAGMANの「結婚相談所」と吉野文鳥の「最高のオナニーのために」ということもあり、主観とは縁が深いのだ。

一時期は、淫語モノではない「癒らし。」というアウダースの恋人バーチャルモノをずっとモニタリングしてきた。最近はさすがに忙しくなりすぎて、「癒らし。」に関してはやめてしまったが、「雌女・熟雌女」は淫語モノでもあるので、今でも見続けて感想を送っている。

その主観AVだが、実はよくよく見ていくと1つのくくりで語ってはいけないのではないかと思いはじめた。たとえば「結婚相談所」と「最オナ」はどちらも主観AVのくくりではあるものの、その作りはあきらかに違うものだった。

自分は主観映像というと、まずはオーソン・ウェルズが指向したいわゆるP.O.Vと呼ばれる撮り方が思い浮かぶ。これは役者の目線と視聴者の目線が全く同じで、主観側の役者はとうぜんそのドラマ設定の中で演技を続けている。AVであればその女優のパフォーマンスは決して1人芝居ではない。あくまで主観男優との掛け合いが主体になる。FLAGMAN監督がやっていた「四畳半ファック」やアウダースの雌女シリーズがそうなのだが、視聴者は男優の体を借りて女優と接するという見方をすることとなる。
これを仮に主観α型(タイプ)と呼ぶとしよう。

これとは別に、女優は男優に話しかけるのではなく画面の向こうにいる視聴者に直接語りかける撮り方がある。αタイプがあくまで主観男優のコミュニケーションを描くのに対し、こちらは完全に女優の1人芝居に近いものとなる。
「最オナ」を含めたいわゆる「オナニーサポート」ものがそうで、かつてはSOD系列が得意としていたものだった。
これには男優の体を依り代にする必要がなく、どちらかと言えばビデオレターやライブチャットに近い。
これらの撮り方をβ型(タイプ)としよう。

一時期、AV業界のひとたちがやたら「最近のAVは極力、男優の存在を薄くすることが求められている」といっていたことがあった。確かに一面ではそう見えなくもない。ユーザーもその意見を是として「男優は黒子である」と言っている事情通もいるようだ。
でもこれが主観AVを指していっているのだとすれば、まったくの見当はずれ、そんな単純なものではないと自分は思う。

主観AVといえども、たとえばαタイプは男優の演技がモノをいう。男優がうまく演じてくれないと女優も反応がしにくいのである。このことはアウダースには何度も申し入れていることではある。
たとえば騎乗位時、もしも目の前におっぱいがあったらいくつかのリアクションが考えられるだろう。おっぱいを揉みしだくにしろ、ソフトに揉むか、鷲づかみするか、それによって女優の対応も変わってくるに違いない。いや揉まずに乳首だけをつねることもありえる。そのとき「デキる女優」なら「乳首勃ってきた?」というかもしれないし「もっと強くつねって」というかもしれない。いずれにしろ新しい展開が台詞の中に生まれてくる。

これをもしも男優側がただマグロ状態で何もしなかったら、台詞の広がりは生まれてこないだろう。そんな角度も展開もないのっぺりした淫語AVはまったくもってつまらない。
αタイプに要求されているのは、相手とのキャッチボールなのである。もちろん男優は言葉を発せない。しかしだからこそボディランゲージの部分で、ちゃんと反応してほしいのだ。そのやりとりは声以上にその男優の個性が出せるはずだ。個性はその人間の態度や姿勢にこそ現れるものだろう。
雌女が途中から女優任せのアドリブにするのはこの可変要素を考慮してのこともある。そこまでいちいち台本には書けないし、書いてもかえっておかしくなる。それよりは役者の自由なイマジネーションに委ねて、その反応を楽しんだ方がいいのである。

一方のβタイプは男優の存在を消すというより、もともとその男の存在そのものが必要のないAVである。だから男優の気配を消すもクソもない。アイドルなどのグラビアで抜くようなものなのだから、そこに別の男の存在があったら返っておかしなことになるだろう。
ここでの女優の台詞は台本通りにした方がいい場合も多いだろう。むしろアドリブにしてしまうとよほど経験豊富な女優でない限りすぐ底が割れてしまう。
台本を書く側は台詞の展開が一辺倒にならないようあらかじめ綿密な構想が必要となってくる。

このようにαタイプとβタイプはまったく別ものであるのは明白なのだが、実はここに制作側の混乱があるのではないかと思うことがある。あきらかにその立て分けができてなくて、それらをごっちゃにしてしまっているように見えるのだ。
こんなことでは見ている視聴者も混乱してしまう。

たとえば途中までβタイプで作られているのに、最後の最後、突如として男優のチンポが画角の隅に現れ女優に顔射したらどうだろう。作り手はそのチンポをユーザーのチンポと見なしてほしいと思うのだろうが、そんなに唐突に出てきたらユーザーは異物を見るような気分になるだろう。とても自分の依り代になるものとはならない。視聴者のチンポではなくどこまでも他人のチンポとして受け取られてしまう。
宇佐美忠則監督がよくこれをやるのだが、まったくナンセンスだと自分は思っている。それまで視聴者に直接語りかけていたのだから、最後までそれは全うすべきである。そこに突然、男優の肉体が現れたら混乱するだろう。それなら最初からなんらかの形で男優の肉体は出しておくべきである。それをしておけば、たとえそれが手だけの登場でも、そこを媒介として感情移入し、その肉体の一部であるチンポは自分のチンポとして認識できるはずだ。そういうことをせずに、最後だけチンポをカットインさせて「ホレ、これはオマエのチンポのはずだ」と言われても見ている視聴者は受け入れられないのである。

さてここまで2つの主観の型を書いてきたが、自分は最近、もう一つの主観AVがあることに気がついた。これをさきにγ型(タイプ)と呼ぶことにしよう。

主観はすべてカメラ目線が基軸である。
そのカメラ目線の意味は、αタイプは主観男優の視点=視聴者の目線、βタイプは視聴者の目線のみ。それによってそのパフォーマンスもαタイプは主観男優との掛け合い。βタイプは画面の向こうにいる視聴者への1人芝居ということになる。
γタイプもカメラ目線なのだが、ただ演技はしない。刺激と反応だけで作られる。とうぜん刺激するものが必要なのだが、このときこそ黒子の男優が登場する。
このときに出てくる男優は個性があってはいけない。まったく黒子であるべきだ。依り代ではないが逆に視聴者の式神のような存在として動き回ることになる。肉人形化している男優は顔もボカシが入っていて、声もあまりださずただ女性の体をまさぐったり、逆にまさぐられたりしている。全身タイツなんてこともありえる。まさに黒子だ。
アロマ企画などではよく見られる手法だ。フェチビデオに一番向いている撮り方なのかもしれない。フェチシズムとはもともと物神崇拝の意だから肉体のモノ化というのは当然のことだともいえる。男優どころか女優の個性も拘泥していない。フェチとはそういうものだ。
ただこのやり方は低予算でできるわりには、あまりまともに作られてきたことがないように思う。鷲本ひろしの後継者は育っていないということだろうか。

γタイプの主観は、刺激と反応を楽しむものでもあるので、女優の演技力はあまり問われない。おそらく素人でもいいはずだ。さらに言えばあくまでリアクションを見るだけなので、着衣のままでも十分である。
出演者に強いることはカメラ目線、台詞が必要ならプロンプすればいい。

このようにα、β、γと立て分ければ主観AVはもう少し整理されて作られるようになるのではないだろうか。
しかしこの手のことはあまりメーカー側は考えていないようだ。
だからときおり不思議なカメラ目線AVを見せられて、なんだかなぁーと思ってしまうのである。

コメント

イイ

楽しく読ませていただきました。
ingomaさんの文章って大事なところが読みやすからイイ。
これって当たり前のことなんだけど、けっこうプロの物書きってその勘所を誤魔化すんですよね。
「伝える」ことを一番に考えればいいものを
「良く見せる、かっこよく見せる」ことを優先させちゃうから。
いつか本作りましょう。28日もよろしくです!

28日ですね。

お褒めにあずかり恐縮至極です。
編集者の人に具体的に突っ込んで指摘されることは
とても有意義なことだ思っています。
やっぱり編集者の方の目というのは独特な嗅覚がありますものね。

今年の夏はいろいろ忙しくなりそうです。

主観AVについて

相変わらず鋭いですね♪映画的な手法をちゃんと勉強している監督ならば当然の事だったりします。ウサちゃんとかは映画的勉強してきたとは思えないのでそうなのかも。ピンク映画とか出てるとやはり「違う」と思う事がたくさんありました。ちゃんと勉強されてる監督さんだと後で出来上がりを見ると「なるほど」と思うことしばし。今の時代、安易に誰でもカメラで撮れちゃうんでそこにも落とし穴があるように思います。

たとえばハメ撮りは

素人っぽいからいいというのもありますよね。
でもハメ撮りを撮るノリで主観AVやフェチビデオを撮られるとちがーうって思うことがありますよ。

アートビデオとかそういう老舗のマニアックメーカーの方がしっかりしているんですよね。代々木さんの作品もそうだけど。あと実はドグマのTJ監督もやっぱりうまくて内容以上によく感じるのはその撮影技術なんじゃないかと思ったりしています。

ただただすごい
感動した
ありがとう

  • [2015/07/16 00:01]
  • URL |
  • 名無し@ボヤキ
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://ingoma.blog64.fc2.com/tb.php/716-4f7ec35b

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。