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因果をリセットする花 

6月はマザーズのテコ入れとレズれ!の起ち上げで非常に忙しくて、なかなか家に帰れない日が続いた。家に帰ったとしても寝てはすぐに仕事場に向かうなんてことばかり。何かに急かされているような日々だった。

そうしたらあっという間に7月になっていた。
さすがに自分の中に妙な焦りが生まれてくる。追われるような仕事ばかりしていると感性のアンテナが一つ一つ死滅していくような気分になるのだ。

まだ結婚する前の話だ。
20代後半であった自分は仕事にのめり込みすぎて、やはり家にたどり着くのがやっとという日々が続いていた。仕事を覚えれば覚えるほど、膨大な作業をこなしていくような状況が続き、東芝ルポというワープロを持ち歩いて企画書やイベントの進行表を作り、拠点拠点で仕事をしていた。

あれは家から駅に向かう途中の公園を突っ切っていたときのことである。
テクテクと歩いていると眼に鮮やかな赤い色が入ってきた。よーく見るとサルビアの花である。なるほどと思って見ているとその横には色とりどりの花が咲いている。

軽いショックを受けた。
その公園の花壇に植えられていた花は、何も今日、咲いたわけでもないだろう。それなのに自分はまったく気づかずにいた。

思わず立ち止まり、天を仰ぐ。するとそこには空があった。白い墨で染め流したような雲。そして薄いブルーの天空はお陽様に照らされてまぶしかった。

心が死んでいると思った。下ばかり向いて歩いていると思った。
こんな自分はイヤだと思った。

無理矢理にでも本を読もう。小説や詩が心を蘇生させるんじゃないか。
できるだけ風景を見よう。綺麗なものは心に歓びをもたらす。

心に水やりは必要だ。

家から駅に向かう途中に蓮池がある。
実は毎年、ここで大賀ハスを見るのが楽しみなのだが、今年はまだいっぺんも見に行ってない。
会社に行く前に寄ってみようと思った。

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蓮は古今東西、神聖な花としてとらえられてきた。
インドでは白蓮は太陽を現し、紅蓮は大地を現す。
大地は母でもある。インドの女神は紅蓮の花弁を持って描かれることが多い。
最高級の女性のことを蓮女と呼ぶこともある。
もちろん蓮は女性器のことだ。貝女、象女などという表現もある。いわずもがなだ。

蓮はまた仏教では因果を現す。蓮の花は、咲いたと同時にその果実をその花弁の中に宿している。因と果が同時に備わっている花として即身成仏を表象している。
あるいは因果をリセットし、あらたに仏因仏果の道筋をつける。カルマの転換を約束した花でもある。
現在と過去と未来がこの花には詰まっている。輪廻する時空を現す花、すなわち宇宙を現す花なのである。

「現在」は「過去」の積み重ねともいえる。すなわち現在がクソのような生活をしているのは、クソみたいな過去を送ってきたからかもしれない。
だが未来は現在の行動によって切り開かれる。過去がどうであろうと現在のこの一瞬一瞬で未来は築かれる。未来を作るのに過去は問わないのだ。

さらに仏教では過去も未来も結局は現在の一念の中にあるという。
現在が地獄ならば、過去にどんな栄光があったとしても、それがかえって地獄の因となることもあろう。
逆に現在が寂光土ならば、汚泥にまみれた過去も、現在の自分を作り上げるための、行動の軌跡とも言える。
未来もまた同じ。この瞬間瞬間の中に無限の可能性が秘められている。

昔は心臓が蓮の形をしていると思われていたフシもある。人間の当体は蓮なのである。

また蓮は癒やしの薬として昔から珍重されてきた。蓮は蘇生の花なのだ。
睡蓮までいれれば、蓮華にまつわる話は洋の東西をまたぎまだまだいっぱいある。

そうこうしているうちに八月になった。
八月になったらAVとは別の仕事の方も始動する。
そのためにももっと文章を書かねば。
仕合わせの因果は常に自分の掌中にある。惑うことすら序曲にすぎない。

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