淫語AV史上まれに見る滑舌のよい淫語コーナーだった 

  • [2009/08/06 23:11]

今、PHPを使ってページを作り始めたところなんだけど、まだまだ先が長いね。
こんなことならもっと早く着手すべきだった。

いずれにしろこれがうまくいけばかなり更新が楽になる。
データベース的な要素も強くなって、メーカー別やらシリーズ別のページも自動生成されるようになってくれるだろう。
いちいちリンクを貼ったりする作業もなくなるし、デザインもテンプレートみたい自由にカスタマイズできるようになるかもしれない。

どちらにしろもっと勉強しないとなぁ。


最近読み出した本。

オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険オオカミ少女はいなかった 心理学の神話をめぐる冒険

新曜社 2008-10-03
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この中で「まぼろしのサブリミナル マスメディアが作り出した神話」っていう章がある。
誰もが一度は聞いたことのある実験、ある映画館で1/3000秒だけ「ポップコーンを食べろ」「コカコーラを飲め」という画像を入れたところポップコーンやコーラの売り上げが急激に伸びたという話。
これ、実はアメリカの広告屋が言い出したことで、学者が発表したものではないんだって。
まともな論文ひとつ学会に出されたことはないらしい。すなわちでっち上げだった。

「彼らがやったことは罪深いが、一方で、科学者がそのことを批判せず、実話として語り継がれてゆくのを放置することも、同じだけ罪深いことなのではないか」と著者は訴えているわけだけど、こういうのって一度ひろまってしまうと修正するのになかなか難しいものがあるよね。
血液型占いなんかがそうだもんなぁ。テレビとかの後押しなんかあった日にゃ、もう影響は甚だしい。

実際、自分が「サブリミナル効果」っていうのを知ったのは、「刑事コロンボ」でサブリミナル効果を使ったトリックがあったからで、こんなもん子どもの頃、見ちゃったらまともに信じちゃうわな。

その同じ章のところで、エリオット・マクギニスって学者の興味深い実験が載っていた。

ある単語を被験者に瞬間的に提示して、それがなにかを答えてもらう。最初は提示時間が短すぎてわからない(最初の提示時間は10ミリ秒)。しかし、提示時間を長くしてゆくと(1回の提示につき10ミリ秒長くする)、ある時間からなにが提示されたかわかり始める。これが認知閾に相当する提示時間である。提示された単語は、penisやbicthやwhoreといった口にするのがはばかれるような単語(ここではタブー語と呼んでおく)とmusicやtradeのようなふつうの単語(中性語)である。この認知閾の測定と同時に、被験者の指に電極をつけ、指の皮膚の電気抵抗も測定する。これは、心理学ではGSR(皮膚電気反応)と呼ばれているものだが、これによってそのときの被験者の情動状態(快不快、覚醒、興奮、心の動揺)が測定できる(いわゆる「嘘発見器」と同じものだ)。
 マクギニスが得た結果は次のようなものだ。タブー語は、中性語に比べ、認知閾が高かった。中性語では認知閾の平均が0.64秒、タブー語では1.20秒だった。つまり、タブー語は、中性語の2倍長い提示時間でないと認知できなかったのだ。
 ところが、単語を認知できなかった時、GSRの値は、タブー語の場合は中性語に比べて一貫して高い値を示した。つまり、両者とも認知できていないのだから、GSRは同じになってよいはずだが、そうならずに違いがあった。このことは、タブー語は認知(意識)できていないけれども、情動反応からすれば実は見えていたということになる。

鈴木 光太郎『オオカミ少女はいなかった』新曜社 2008.10.3 55p

つまり淫語みたいな言葉はふつうの言葉にくらべ、頭ではなかなか認識しにくいが、心や体の方はなぜか頭よりも早く反応してまうってことらしい。

これはこの作者も言っているように、「聞き取ってはいるんだけど、そんなことを言って間違えたら恥ずかしいと躊躇してしまい反応が遅れている」ってこともあるだろう。
いや、むしろだからこそ淫語っていうのは興奮するわけでもあるんだなぁ。

AV見ていて、最初に女の人が淫語を発するときにこの微妙な反応が見えるときがある。
その空気が見たくて最初の淫語発言を楽しみにしているところすらあったりする。

ところがだ。そこで男優が聞き返したりするよね。
聞き返してもう一回言わせたり、羞恥をあおったりするのはいいんだけどさ。
この聞き返し方が悪いと絞め殺したくなるときがあるね。

妙に、はしゃいじゃって言葉を畳みかけたり、わざとらしく声をうわずらせたりして、女性の微妙な反応が男優のテンションで落ち着いて観察できやしない。

かといって「なんでおまえそんなに偉そうなんだよ」って態度で言葉責めするヤツも腹立つしね。

志良玉団子なんて途中まではいいんだけど、ヤツは段取りを考えてさっさと進めちゃうところがあるからダメなんだよねぇ。

ingoshiyouyo2.jpg
一番好きなのは保阪順かなぁ。
とぼけている感じがよくてさ。
すっとぼけながらすぎもと美里に淫語あおりしてみたりね。

「淫語しようよ2」での早坂晃子とのやりとりなんか最高だったよなぁ。
あの掛け合いはおもしろかった。
ああいうのまたやってくんないかなぁ。
「うぶちん」はなんか違うんだなぁ。

しっかし、雷蔵の眉毛は反則だと思う 

  • [2009/08/03 23:58]

明日、更新するのは最オナね。
前回の「最高のHのために」を見ていたときに、なんだか見比べて見たくなったもんでね。

ただ、これ、2枚組200分のヤツを選んでしまったもんで、手間取っちゃった。

あと二村さんのmixiに「ヤリマン」と「サセコ」について何気ないコメントを書き込んだんだけど、「ヤリマン」の「ヤリ」は能動態なんじゃないかとレスが返ってきた。
なるほど「サセコ」は「させてくれる女の子」で受け身、「ヤリマン」は「いつもやりたいマンコ」ってことで能動なんだね。違いがわかって大変勉強になった。
男にも「ヤリチン」「サセヲ」という人種がいるわけだ。

でも結局のところ、「ヤリマン」ってAVでいうところの「痴女」のことじゃない。

んで「サセヲになりたい願望」っていうのが二村さんにはあるらしいんだけど、それって要は抜きがたい「非モテ根性」みたいもんが根っこにあるように感じた。
だから二村さんは「性欲の強い女性」が好きなんじゃないだろうか。
サセヲになるためには、そのパートナーは「ヤリマン」である必要があるだろう。

あと藩金蓮さんのところのmixiにも書き込んだんだけど、書いているうちに藩さんの好きな世界と溝口健二が映画化していく世界は重なっているように思った。

そんでYouTubeで溝口の映画を探してみたら、あるんだねぇ、これが。

「雨月物語」の予告編。

これは彼女、見ているらしい。たしかに妖艶ですな、マチ子さん。

次は「新平家物語」予告編。
こっちは未見なんだって。

これ見て、「市川雷蔵ってスゲェー役者なんだなぁ」って思ったもんだ。
眠狂四郎みたいなB級映画?も悪くないけどね。

でもこの作品、ネットで調べてみるとあんまり評価は高くないみたい。
なんでだろう?

本当は「赤線地帯」を強く勧めたいところなんだけど、なぜかこれの予告編はなかった。
とても残念。

どっちにしろユーザー不在なんだよなぁ 

  • [2009/07/30 21:20]

ちょっと前に中村さんのブログで、ボヤキの小窓を紹介してもらったんだけど、そのときに「文学や音楽にも深い見識のある方です」なんて書かれちゃって、「んんんー」と唸ってしまった。

中村淳彦の「どうでもいいこと」 2009/07/25 : 名前のない女たち最終章 2刷!!

文学はまぁ人並みに読んでいる方だと思うから、深い見識があるかどうかはともかく、ひとくさり、ふたくさりぐらい語れるものもあるとは思うが、音楽はあきらかに門外漢ですよ、わたしゃ。
好きな音楽はあるにはあるけどかなり偏っているんじゃないかと思う。
本屋にはよく行くけど、CDショップはほとんど行かないから、見識もクソもないんじゃないかと。

たとえば、この間まで「マッド・カプセル・マーケッツ」っていうバンドがあるのを知らなかった。
どうやらそこのボーカルが森下くるみちゃんと付き合っているらしいってことで、その存在を知ったばかり。

YouTubeで聞いてみたら、嫌いじゃない。
今日、TSUTAYAに行ってベスト版を2枚借りてきた。

しばらく、これ聞きながらプログラムの勉強をしようかと思ったりしている。

んで2ちゃんねるでは、このKYONOって人と森下くるみが6月に入籍したって話になってんだけど、真相はどうなんだろうね。
発信元はAV板じゃなく音楽板の方だから、かなり確度の高そうな情報だと思うんだけど。

今のところ、ドグマでは何の発表もない。
まぁいつものことなんだけどさ。
こういうところが嫌いなんだよね、AV業界って。

別に引退作品なんていいんじゃねぇーの、やんなくて。
もともと筋なんかねぇー世界なんだからさ。
くるみはじゅうぶん働いたよ。ドグマの功労者なんだろ。

それに、もしもだよ。
籍を入れたばかりの女性でまだAVを撮ろうとするならそりゃ鬼畜だよな。
ふつうじゃない。人間として終わっとる。

自他皮膜論 

  • [2009/07/29 23:58]

近松の「虚実皮膜論」の「皮膜」を「ヒニク」とわざわざ仮名をふったりする辞書もあるが、「広辞苑」や小学館の「国語大辞典」は「きょじつひまく」を取っているようだ。
本来、どちらの読みが正しいのかはわからないが、どちらしろ漢字で書き表すなら「皮膜」の方がよく言い得ているように思う。

真実というのは常に皮膜にくるまれている。ふだんは覆われていてその姿はなかなか簡単に見ることができない。
「化けの皮」といった言い方もあるし、人間というのは皮の膜ひとつでようやくその姿をとどめているにすぎないのかもしれない。

そもそも「自分とは何か?」と考えたときに、自分の持つこの「肉体」というのはずいぶんあやふやな境界線でできていることに気がつく。

たとえば今、目の前に松屋のトマトカレーがあったとしよう。
このカレーはいずれ自分の口に入るとはいえ、いったいどの段階で自分の血肉になったと考えればいいのだろう。

舌の上に乗った瞬間だろうか?

胃に入った瞬間?

消化され始めたときだろうか?

「消化」と言ったって、どのあたりからだろう?

消化酵素がとりついた瞬間?
分解しだしてから?

完全に人間の吸収しやすい栄養素になったら自分の血肉になったと言えるだろうか?

それにより体内にできたウンコは自分の体の一部とは言えないのだろうか?
あれは体を通過しただけだからもとから血肉とはなってなかったのか?

それなら尿はどうだろう。
これは体の中で作られた排泄物だ。

いやもっとわからないものがある。
呼吸だ。空気を肺に取り込んで、酸素を吸収し、二酸化炭素を排出する。
この酸素はいつの段階で血肉となるのだろう。逆にはき出された二酸化炭素はどの瞬間から自分の肉体の一部でなくなるのだろう?

そもそも単に人間の肉体は、さまざまな分子を仮に集めて結びつけているだけにすぎない。だから始終、分子レベルで入れ替えを行いつつ存在しているだけとも言えるのだ。

人間の肉体というのは、いくつかの決まり事に則ってエネルギーを入れ替えつつ、常に再構成しているにすぎない。
もっともそれは素粒子レベルでいえばすべての物質にもあてはまることなのだが。

仏教ではこれを「空」という。
仮に集まった肉体を「仮」という。
しかしそれはなにもでたらめに集まっているわけではない。やはりなんらかの法則がある。それを「中」という。

この五体を指して自分という存在があるのではない。
その五体を包む「皮膜」は決して自分と他をはっきりと分かつ境界線とはなりえない。
むしろとりあえず置かれた補助線のようなものにすぎないのかもしれない。

この「自分だと思っている」肉体は、宇宙の塵のひとつとしてつながっている。
「自」は「他」なしで成り立つことない。他もまた自の一部であり、自もまた他の要素を借りて存在しているのである。

これを「縁起観」という。

「虚実皮膜」とは「自他皮膜」のことと言えるのかもしれない。 虚といい、実といってもそれは他人の目を意識して成立する概念であろう。

所詮、人の幸不幸は「他人とのつながり」の中で発生するものだ。
だからこそ「よくできた人間ドラマ」は、それが悲劇であれ喜劇であれ、人をなぐさめる力があるのだ。

皮膜ってなんかイヤらしい感じのするコトバだなぁ 

  • [2009/07/27 23:48]

近松門左衛門の演劇論に「虚実皮膜論」というのがある。
近松が穂積以貫っていう人に語ったとされる話で、それを穂積が「難波土産」って本に書き残した。

内容としては、「近頃のヤツはなんでも理詰めで実物通りに演じないと納得できない。歌舞伎役者もその所作が本物と生き写しでなければ上手いとはいえない」という話があって、それを近松が「此論尤のやうなれ共芸といふ物の真実のいきかたをしらぬ説也(この論はもっとものようだけれども芸というものの真実のあり方を知らない説である)」と一蹴するところから始まる。

芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの也成程今の世実事によくうつすをこのむ故家老は真の家老の身ぶり口上をうつすとはいへ共さらばとて真の大名の家老などが立役のごとく顔に紅脂白粉をぬる事ありや又真の家老は顔をかざらぬとて立役がむしやむしやと髭は生なりあたまは剝なりに舞台へ出て芸をせば慰になるべきや皮膜の間といふが此也虚にして虚にあらず実にして実にあらずこの間に慰が有たもの也(註:漢字は引用者が旧字を新字に置き換えた)

『新群書類従第六 歌曲』第一書房 昭和40年8月25日 325p

つまり現代風に訳すと「芸ちゅうのんは、ホンマとウソの重なり合ってるところにあるんですわ。たとえば家老とかを演じはるにしても、実際にいる家老とおんなじように身ぶり口ぶりを真似したところで、それでは、実際の大名や家老が役者みたいに紅や白粉をつけて化粧したりしますか? 実際の家老はいちいち見た目を気にしないからゆうて、立役のお人がヒゲをモジャモジャ生やしたり、頭、禿げてマゲがゆえんようなってても、その格好で舞台に立てますか? そんなことして誰が喜びはるんやろ。皮膜の間っちゅーのはそういことですわ。ウソやけどウソやない。ホンマやけどホンマやない。このウソとホンマの間に人を慰めるものがあるっちゅうことなんですわ」ってな感じか? (ヘンな関西弁になってる?)

この続きがおもしろい。

生身の通りをすぐにうつさばたとひ楊貴妃なり共あいそのつきる所あるべしそれ故に絵そらごととて其の像をゑがくにも又木にきざむにも正真の形を似する内に又大まかなる所あるが結句人の愛する種とはなる也趣向も此ごとく本の事に似る内に又大まかなる所あるが結句芸になりて人の心のなぐさみとなる文句のせりふなども此こころ入れにて見るべき事おほし

同上

現代語に訳すと(もうあやしい関西弁はやめとく)
「生身通りに写せたとして、たとえそれが楊貴妃であったとしても、愛想をつかすところがあるものだ。だから楊貴妃の姿を画に描くにしろ、木に刻むにしろ、真正の形に似せつつもどこかデフォルメしちゃった方がかえって人から愛される元になる。こりゃ歌舞伎や浄瑠璃の趣向もそうでさ。本物に似せつつもデフォルメしているところがあってそれが詰まるところ芸となり、人の心をなぐさめてくれるものになるんよ。言葉の台詞にしても同じような心入れで作ると見るべきところが多くなる」

最近のAVは身も蓋もなかったりするから大人の鑑賞に堪えられなくなっているように思うね。
淫語モノなんて虚実入り乱れているからおもしろいんだよ。

いや、そもそも実際のセックスだってさぁ、虚実入り乱れている方がおっちゃんは興奮すると思うんだけどね。

女は感じたフリをし、男はだまされたフリをする。そのうち感じたフリがホンイキになり、だまされてやってるつもりが抜き差しならないぐらい好きになっている。
そういう男と女の皮膜の間にエロスはあると思うんだけどな。